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では、始めます。

タイトルは、「人生を良くする国学」です。国学って学校で習ってないので知りませんよね。「んー、国学っていう言葉だけはー、どっかで、聞いたことあるかしらー?」っていうくらいですよね。

次に、「数の檻」の「檻」は何となく、字を見た通りのイメージが湧く。けれでも、「一瞬の陰陽」って分からないですよね。どっかの宗教の話かと(笑)。もう、一瞬で壺を買わされるとか、仏壇一式買わされるとかね。「あれー、私、この仏壇、いつ買ったのかしらー!?」みたいな。

小難しい話は抜きにして、要は、今の悩みを解決して、今からもっと良い人生を過ごすための勉強です。まずは5分間だけ見てください。あなたの今後の人生を良くするためのきっかけがあります。

今を生きるあなたを含めた、今の日本人が、共通して抱えている悩みの元は大体同じです。

まずは経済、お金を見てみましょう。お金に追われて、時間に追われる現代人。どんなに追われてもお金は増えそうにない。

次に、社会。小さい社会は家庭環境も社会だし、家庭の外も社会。通う学校、務める会社、その中の人間関係。今まではなんとなく、みんなに合わせながら生きてきた。社会保障も何もかも削られていく。自分の老後は何も当てに出来ないだろう。

次に、科学技術はどうなっているのか。良いことだらけだったはずの原発で、何でこんなに不幸になるのか。何でいまさら活断層があることが分かるのか。津浪だって、歴史から学べば想像がついたはずだ。遺伝子組み換え食品だって今更人間の臓器に影響が出たと。何で今更言うんだ。安全安心だったはずじゃなかったのか。科学って何だ?

経済、社会、科学、ざっと見渡しただけでも、問題は山積みです。

では、それらを一手に取り仕切っているはずである、政治ってどうなんだと。どうも上手くいってなさそうだ。あなた個人の深刻な問題は、国全体としても深刻な問題です。増える税金と、相反して減る収入、それなのに、国全体としても借金が増える一方。多くの問題はもう、深刻な問題を通し越して、手遅れの問題です。

この上手く行っていないリングの中にあなたがいる。日本全体もこのリングの中にある。このリングはもっと大きなリングに囲まれています。

まず一つ目は、全体主義。より多くの人、みんなに合わせなければいけません。自分を我慢させなければいけない。いつも我慢するのは正直つらい。

次に合理主義。合理主義は何でも強引に数に変える。

合理主義の中の社会問題、その中の一つ学校教育がある。教育での偏差値教育もそうでしょ。相対的な数字の大小で優劣を決める。

合理主義の中の科学問題、その中の一つに現代西欧科学医療がある。医療は人間の健康を扱う。でも人間は、科学の中だけで説明できないのに、無理やりに科学だけで説明しようとする。人間は長い人生の中で、ガン細胞を治すために風邪を引いて高熱を出して食欲が無くなって断食する。それなのに、医療は目の前の現象、風邪を引いた状態だけに注目する。風邪だけを治そうとする。熱だけを下げようとする。何でも元の状態(正常であるとされている体温という数字)に戻そうとする。木(病気一つ)を見て森(人体全体)を見ない。から体が壊れる。原発も壊れる。これが今日の世間では、科学合理主義だとして正しいとされている。

私たちにとって、民主主義は当たり前です。みんなが絶対的に正しいことだと考えている。でも実際は、国の政治は一向に良くならないし、日本人一人一人にとっても、民主主義、多数決、みんなの為。そうすると、少数派を排除する全体主義になるし、それが合理的だとされる。でも、何かがおかしい。おかしいことは分かっているのに、言葉にできない。言葉に出来なくて当たり前です。このリング以外の教育を受けていないからです。知らないんだから言葉にできなくて当たり前です。

資本主義も、数字が力を持っている。数字の多い少ないで勝敗が決まる。数字が多い方が勝つ。これらの主義原則は全てあらゆる物事を数字に変えて判断する。数字は常に相対的に全ての優劣を決める。全ては数です。この4つの原理主義は相互に影響し合っています。このリングも、更に大きいリングに囲まれている。

この檻が、私たちを苦しめる最後の檻。数の檻。私たちは、数の檻から外の考え方ができません。これ以外の教育を受けていないので当たり前です。でも、心のどこかでは、何かがおかしいと感じている。でも、何がおかしいのか分からない。言葉に出来ない。

ここでだいたい5分です。如何でしょうか。この図を見て、なんとなく感覚的にピンと来ている人は、ボヤッとでも分かっている人です。あなたの無意識は、どこかで今の日本人のおかしさに気が付いています。今から私が、あなたがおかしいと感じている事柄を図式化・言語化してあなたにお知らせます。あなたはおかしさの正体を知ることで、あなたの今の悩みはだいぶ解消されるはずです。あなたの人生はきっと良くなる。

私たちを縛る、数の檻は、現代の身分制度、階級社会を作りました。この社会は富士山の形をしています。雄大な富士山は部分部分を見てもしょうがない。ボヤッと眺めるものです。

私たちの身の回りの、経済.社会.科学.政治は、一つずつ理解しようとすると、結局は中身が分からなくなります。一つ一つを見ると難しくて分からないことでも、全体をボヤッと見渡すと、後で、一つ一つが分かるようになります。

そこで、今からの話は、細かい箇所に拘らずに、聞き流してください。聞き終わった後で分かることもあります。富士山を眺めるイメージで、興味のない話は聞き飛ばして構いません。

日本国内の頂点は、空です。頂点は、天皇陛下でも、政治家でも、特定の政党でもない。首相でもない。溶け残った雪の部分。ここが実質上の日本の頂点です。大なり小なり、それぞれの雪の塊は、それぞれの中央省庁です。省庁ごとに、それぞれの分野を縦割りで取り仕切っています。

省庁の他にも、日本の巨大メディア。テレビ局を持ってる所、そのメディア王は、国内最大の権力者たちです。次いでグローバル企業の株式を持つ大企業の創業者一族も支配者。まあその筋はすごく少数なので、ここでは省きました。

学者は大学の学者。司法は裁判員。立法は政治家です。いずれも中央省庁より断然力が弱い。10%が公務員。人事院が事実上の給料を決めている所。残りの裾野の90%は産業界です。

産業界の中にも階級がある。上から、自転車操業で何とかやりくりしている零細企業の社長、その会社に務める正規雇用のサラリーマン、その下が派遣社員、時給数百円で働く人、フリーター、ニートまでがここに含まれる。これが今の日本の固定化された階級社会です。この階級社会は、一度でも身分を下に落とすともう上に上がることはできない。現代のカースト制度を作った。

日本国民が一般的に、国家予算だと思っているのは一般会計です。一般会計は、全体の会計、国家予算の三分の一以下です。で、残りの会計、特別会計っていうのは、概ね中央省庁が握っている。

問題とされている天下りとは、様々な中間法人、第3セクター、特別、行政、独立、などなどの中間法人を通して、産業界を圧迫します。産業界の仕事を、行政が税金を使って独占する。

で、この特別会計が足りなくなると、一般会計から引っ張ってきて穴埋めする。特別会計のために、国債もじゃんじゃん発行。未来の日本人の借金。これがもう臨界点。

臨界点の寿命は、グローバル大資本家が決めます。主に欧米系の世界の中のお金と暴力を取り仕切っている人です。ここが日本の頂点です。ロスチャイルドとか、ロックフェラーとか。あの辺の話は今を生きる私たちには遠い話なので、もっと身近な話に戻しますね。

今の日本の富士山、これも数の檻の中にある。僕たちは今の問題の解決を、とかく政治家なんかに期待しがちなんですが、政治家にそんな力はありません。でなければ、僕たちが選んだ政治家が僕たちを苦しめる法律を作るわけはないし、彼らは自分自身すら苦しめている。

日本の職業で官僚の次に給料が良いのは医者と学者です。学者は、僕の世代で年収1,000万。でも、この学者が産業界で働こうとしても、そんなに使い物にならない。ってことは年収も産業界と同じ水準にならざるをえない。

ちなみに、産業界の年収は300万とすると、1,000万から300万円ですから、年収は実に三分の一以下になってしまいます。だから学者は学者の立場にしがみ付くので、上の省庁のお声通りの御用学者になってしまう。

これは学者に限らずね。誰だってみんなそうなってしまう。産業界に普通の人もそうでしょ。だってここにも階級があって、一度落ちると上がれないんだから。正社員から派遣も同じ。だからみんなが今の立場にしがみ付く1臆保身社会になった。

じゃあこの仕組みの元は誰が作ったのか。今のこの日本の仕組みは、国内の支配層である官僚が作った仕組みではありません。最初からこの仕組みだった。

キャリア組の官僚だって、大学を卒業して、初めて入って知った社会がこういう社会しか見てなければ、その社会を信じますよ。官僚に限らず誰だって信じます。みんなに今の社会を信じ込ませるための新卒一括採用です。

そして、省庁のトップって言うのは2年以内に変わります。しかも、学生時代からの先輩と後輩。だから、組織の改革ができない。だから慣例通りに任期を終えるのがトップの役割にならずをえない。だから国全体のことなんて考えようもない。

もし改革しようとしても、これだけ縦割りにされているのだから一か所の省庁だけで反対しても、省庁ですら潰されてしまう。それはテレビ局、メディアだって同じ。だから、せめて、自分の縦割り内の省庁だけでも、せめて自分の身の周りにいる省庁の天下り先だけでも用意しようと考えてしまう。

官僚も公務員も学者も政治家もメディアもみんな、国を悪くするつもりで国の仕事を志す人はいないでしょう。みんな善意で国に従事するんですが、数の檻、数は善意を惰性に変える。行動原理を保身に変える。まあ、今はしょうがないかと。次の世代に託すかと。託し続けてここまで悪化した。

これは公務員とかに限らず、僕たちだって同じです。産業界にいる普通の人と、官僚や学者を入れ替えたって何も変わることはないでしょう。官僚も学者も普通の産業界の僕たちも、同じ数の檻の中の一部であって、役割分担をしている。この役割分担は、数の檻の域を超えない。で、諦めざるをえないように、始めからこういうシステムは組立てられていました。

でもね、数の檻の中は、公平と言えば公平でしょ。生まれながらの固定した身分制度ではないですよね。誰だって、公務員にもなれるし、官僚にだってなれるんだから。それが偏差値の数値で大学決まって、それでさらに数を図る試験があってで、誰だってなれたんだから。民主的でしょ?数の檻の中では相対的な数字の大小こそが正しいんですから。

何を言いたいかというと、この富士山型の身分制度は、能力の差ではなくて、だいたい全部数字で決められている。給料も数字。身分も、出身学校の偏差値っていう数字。この富士山も数の檻を支える一部なんです。凄いでしょ。数の檻は。強いんです。

グローバル大資本家は頭がいいですよね。数の檻を発明して、閉じ込めた。そして、より多くの数を持ち、数自体もコントロールしている。これだけ頭がいいと、もう従うしかないかなと。思ってしまうほどですよね。

以上、いきなり難しすぎる話だったと思うんですけど、でも、これを見て、ちょっとすっきりしませんか?「あれー。日本ってこんな風になってたんじゃ、もうしょうがないわよねー。」みたいな。「私のせいじゃないわよねー。だってどうしようもないしー。」みたいな。でしょ。正解!実際にどうしようもないんですよ。

日本の問題もどうしようもない。あなた個人の今の問題も、あなたの能力不足が原因じゃない。今のシステムでは頑張ったって上手く行かない。良いことしたっても報われない。近年の日本のように、こんなに急激にいろんなことが悪くなると、誰だっていずれかの悩みを抱えている。お金か、時間か、家族かなんかの人間関係か、人によって千差万別だけれども、いずれか何かかんか悪くなってって当たり前なんですよ。

その上、今の世間は個人に対して自己責任を求めてくるけど、責任なんて最初っからあなたにありゃしないんですよね。「あなたに責任はない!!(笑)」 どうでしょうか。肩の力がちょっとだけ抜けて、ちょっと楽になった。

そして出来れば、ちょっとずつ、これからの人生を良くしたい。良くするためには、ちょっとずつでいいから、数の檻への依存を少なくしていかなきゃいけない。そのためには、檻の外の世界を知ることです。まずは檻の外を知ること。

ところが、今の日本人は、檻の外を知りませんから。数の檻っていうブタ小屋にいないと安心できません。このブタ小屋の外の世界を知らないんだから、今のブタ小屋以外で生きていけないのは当たり前です。

選択肢は2つあります。一つ目は、もういっそのこと、完全にブタになる。「僕はブタぶー。ご主人様の好きにしてほしいぶー。それより、今日のエサがまだぶー!エサくれぶー!」ってね。笑「将来のエサは減らされても構わんぶー。でも、今日のエサは欲しいぶ!」って、このさい場当たり的なブタを目指す。ブタ道を極める。もし、それが嫌だったら、ブタ小屋の外を知らないと始まらない。数の檻の外に目を向けてみましょう。

では、日本の外、世界はどうなっているのか。

今を生きる日本人は数の檻の中で生きている。では、世界はどうなっているのか。世界中のシステム、構造を上げるときりがないので、日本の両隣の大国である、アメリカと中国を見てみましょう。システム、構造は、国民の感覚に現れます。では、アメリカと中国の国民は、どのような感覚を持っているのか。

例えば、政治に関する感覚。今を生きる現代の日本人は政治が悪だと考えて、行政が善だと思っています。ところが、アメリカ人だと政治が善で行政が悪です。中国人だと、善悪の概念すらありません。中国は一神教じゃありませんから、善悪2原論の中に生きていません。陰極まって陽になります。善極まって悪になる。表裏一体です。

善悪のように解釈次第でどうとでもなる事よりは、そもそも、自国民の利益を反映させることが政治ですから、善であろうが悪であろうが政治に力を与えて国をリードして欲しいわけです。政治は悪でも構わない。中国人にとっては政治家は悪人でいいんです。

日本人にとっては、政治はそもそも悪なのにもかかわらず、そこに品行方正お行儀の良い完全な善人を求めているわけです。考え方によっては、今の日本人の感覚の方がねじれているようにも感じます。

世界を見渡すと、大国のアメリカと中国だけ比べて見ても、これだけ大きな違いがある。違いどころの騒ぎじゃないですよね。日本とアメリカは正反対。日本と中国は正反対どころか、概念自体が違ってくる。そして、世界はもっと広い。日本の檻は一言で言うと数の檻だけど、それぞれの国や民族や宗教を取り囲んでいる檻の形はそれぞれ違う。檻が違うと価値観が変わってくる。

では、今を生きる日本人は、自分のご先祖様とは価値観を共有しあえるでしょうか。自分自身のご先祖様と話し合えるでしょうか。ちなみに、日本人が数の檻に入ったのはつい最近で、ご先祖様は数の檻の外にいました。

つまり、檻違いなので価値観も違う。でも「だからどうした」と「別にいいじゃないか」と思いますよね。だって、人間は時代と共に進歩してきた。進んできたはずだから、今を生きる自分たちが一番進化しているはずだと思いますよね。だから、昔のご先祖様のことなどを今更知ったところで、今の自分の役には立たないと思いますよね。だって今の話じゃないから。

さらに付け加えると、今を生きる日本人は、昔の日本人と比べて自分たちは頭が良いはずだと思いますよね。だって昔は十分じゃなかった義務教育を自分たちは済ませているでしょ。10年以上勉強してきたでしょ。こんな時代は今まで無かったはずだ。だから、今が進んでいて当たり前だと感じている。でしょ。

ところが、今の教育自体が、この数の檻の中のための教育ですからね。偏差値教育も含めて。偏差値教育は、人間をどっちでもいい、断片的、部分的な相対的な数の高低に、人間を従順に従わせるためのプログラムですからね。だってそうでしょう。僕がさっきたった10分間で説明した話が、何で10年以上勉強してきた今の日本人が知らないのか。

そう言われてみればたしかにおかしいですよね。たったの10分の話ですよ。知らないのはあなただけじゃない。あなたの親も知らないし、学校の先生だって職場の上司だってだれも知りませんよ。もし、仮にね、もし僕の話が本当だったとしたら、それこそ一瞬で価値観が変わりますよね。今、たったの10分間で、覆った10年間。じゃあ私たちの10年って何だったのか。

今の日本の教育の結果、日本人は成人するとみんなこんな考え方に育てられます。「私たちは昔の人より頭が良いはずよね。きっと。」「もちろんさ!僕たちの方が頭が良いに決まってる。きっと。」私たち、僕たち。です。今の日本人の一人一人は、私の頭が良いと思っているわけでもなければ、あなたの頭が良いと思っているわけでもない。

私たちには、広く、今を生きる日本人の全員が含まれているわけです。要するにみんなです。昔の人よりも、「自分たち」はたぶん頭が良いと思っている。「自分たち」という、みんなの中の一人である以上は、自分は大丈夫だろうという、ものすごく自信のない自信です。自分個人には正直言って自信はないんだけれども、みんなに合わせている限りでは、現代人の全体と意見があっている以上は、おそらく大丈夫だろうと思っています。ほら、数の檻に入れられているだけでしょ。ほら、数の檻のための10年でしょ。

数の檻の考え方は、今の日本人の考え方に染みついています。例えば、自分の意見を言うときに、枕詞に、「常識的に考えると・・」とか、「バランスが大事・・」とかね。そういう話し方する人よくいますよね。何をもってバランスなのか。今の数の檻の中のバランスでしょ。今が正しい世間が正しいって言っているだけでしょ。今の数の檻が正しいって言っているんだから、やっぱり今の教育は数の檻のための10年でしょ。

今の日本人は、より多くの人の意見を、自分の意見として言う。自分の意見を言って失敗することが怖い。怖いからこそ、誰かに決めさせて、同時にその人のせいにしたい。

つまり、悪人をたとえ捏造してでも特定したい。原因を分かり易くしたい。誰かのせいにして丸く収めたい。だって、誰かのせいにしなきゃ、自分が悪になっちゃうでしょ。数の檻を一方的に信じているのは自分自身なんだから。だから誰かのせいにする必要がある。そこで、「みんなで団結してあいつを糾弾しましょう!」「自白させて謝らせましょう!」ってなる。自分たちはみんなの中に隠れているのに、批判だけは特定の個人を名指しする。なぜか。

実は、現代人は自分がこの檻の中にいることを、こっそりと知っていて、それでも我慢して自分を押し殺して今まで生きてきたもんだから、檻の外の人を発見すると、どうしても攻撃したくなります。妬み僻みの感情です。だから、活躍する一人の個人へ向かいます。これはいつぞやの時代と一致するんです。中世ヨーロッパの魔女狩りです。

魔女狩りは、キリスト教徒の考え方です。考え方、精神が現実を創る。どんな風に精神が現実を創ったかは、詳しくは後で説明しますが、とりあえず、今はザッと結論だけいくつか挙げると、躁鬱とかヒステリーとか。病気が自分の外側に出る場合は、他人をいじめるとか。差別するとか。人の前ででふてくされる、突然キレる。もしくは泣いたふりで同情を誘う。それと約束を守らない人。約束することは出来るんだけど、後で約束の内容の解釈を勝手に変える人。とか、他にも、普段の社会生活は周りの目を気にしながら生活しているのに、逆に、自分が支配できる範囲に対してだけは、理不尽に、わがままに振る舞う人とかいますよね。人を振り回すことに罪悪感がない人。他にも、誰か特定の他人に対して、自分を一番にさせたがる人もいるでしょ。その人は、自分自身は数の中に隠れているから、自分って何だか分からない。だから、特定の他人を通して、自分を優先させることで、自己のアイデンティティーを確立させる。

他にも、みんなが同じ物を欲しがって、みんなが同じことを考えていると思い込んでいる人もそうです。それと自分は善悪の判断が出来ると思ってる人。ほとんどの人は出来ると思ってますよね。いろいろな例を上げるときりがなくなるからこれくらいにして、結論だけ言うと、これらの症状は、キリスト教徒特有の物の見方や考え方によって感染します。だから、逆に言えば、考え方さえ治せば治る。治し方は後で説明します。

日本人はみんな、無宗教だと思い込んでいるだけで、実際はみんな同じ宗教を信仰しています。日本人はみんなキリスト教徒原理主義者。しかし、今を生きる日本人はキリスト教を信仰しているという自覚症状はない。なぜか。

かつてのキリストの神は、今では数に姿を変えて、神さまである事実を隠している。だから私たち普通の日本人にとって自覚症状がない。誰もが自分は無宗教だと。宗教は信じていないと思わせておきながら、こっそりと私たちの全てを支配しようとしている。そして日本人は数の檻に入れられることになった。檻の外の考え方が出来なくなった。

キリスト教徒特有の物の見方や考え方は、何でも数の檻に入れ直して考えるから、価値観や評価軸が同じにさせられる。でも人間って本当はみんな別々の個性が備わっているのにも関わらず、その個性を無理やりムシするから、そこに耐えられなくて、自分の心や体にいろんな症状になって出てきたんです。結論だけ先に言うと。

かつてのキリストの神は、数に姿を変えて個を制した。制した業に個を連座させ合う。こうして数は、全知全能の神となって君臨して、私たちの全てを支配しようとしている。

今の日本人はみんなで同じ神様を信仰している。数が今の日本人の唯一絶対神なのに、数を信仰しているという自覚症状がない。だから危険。だから他の宗教の人と話をしても分かり合えない。から、排除する。知恵も知識も排除する。ますます数を信じる。数の檻から逃れられない。

だから若い時の貴重な10年間が、たったの10分間で覆される。10年間っていう時間は時間だけじゃなくて、お金も沢山使った。その時間とお金を含めて、数字という数が覆った。質の高さで覆る。これが質で覆す一瞬の陰陽。

たった今覆ったのは、何も10年っていう時間と、かかったお金だけじゃない。時間とお金より、もっと大切なこと。10年の偏差値教育の中で、周りと比べて劣等感を感じたりしなくて良かったし、自分がしたいことやりたいこと探して夢中になれた。無駄なお金を有効に使えた。家族ともっと一緒にいれた。たくさん話せた。心が豊かになった。若い間の10年間は今の人生にも大きく影響を与えているはずです。

つまり、この話を昔から知っておけば、今の人生は今と違っていたはずです。大きく違っていた。今の人生をもっと良くできたはずです。

今からでも遅くない。今からだってこれからの人生をもっともっと良くできる。たった今、覆ったのは、目の前の、小手先の数だけじゃない。質が数を変えて、また質が高まる。質はいくらでも高く出来る。高まった質は数を一瞬で覆す。一瞬の陰陽。

もちろんその逆もある。いや、やっぱり金さえあれば。時間さえあれば。現実の数こそが精神の質を変えるんだと。それも分かる。でも、やっぱりそればっかりじゃない。

数と質は陰陽。どっちが変わってもどっちも変わる。現実と精神も陰陽。どっちも大切だけど、今の日本人は前者の方ばかりになってしまっていて、全く陰陽できないでいる。いきなり一瞬の陰陽までしないでもいいから、無理しない範囲でプチ陰陽くらいはした方が人生を良くできる。楽しくなるし、コツをつかめば簡単に出来るようになる。

それに比べて、明日から数を1,5倍にするのは難しいでしょ。時間を1,5倍にするとか、収入を1,5倍にするとか。無理でしょ。だから精神の質を高めて現実を精神に追いつかせる方が早い。

だって、たった今、現実社会での10年間が10分間で覆れば、1,5倍どころの話じゃないでしょ。えーと、10年が10分だから、1年が1分だから、何千万倍とか何億倍とかでしょ。一瞬の陰陽。質は無限。あなたも無限。あなたの可能性は本来無限なんです。あなたはあなたのままで素晴らしいんです。

それなのに、数の檻の中にいる限りでは、あなたは本当は大切なんだって事実に気づかせてもらえないんですよ。結論だけ先に言ってしまうと、今の日本人の悩みの元は、自尊心を持たせてもらえないことにあるんです。

でも大丈夫。この動画で自然と自尊心は身に付くようにプログラムしてあります。ただ、このプログラムを成功させるためには、今の日本人の現状を冷静に認識しなきゃ始まらない。そうじゃなきゃスピリチュアルとか占いとかになっちゃうから。だからいったん今の日本の話に戻りますね。

今の日本人がこのまま数を信じ続けてくれれば、数の檻の富士山の頂きの上に強い英雄は産まれないので、数の檻としては安泰です。放っておいても英雄的な人間を妬んで引きずり落としてくれる。

他人を引きずり落とす行為は、自分に返ってくる。人間誰だって自分の中にもいわゆる英雄的な側面がある。それを自分で潰す。つまり自分の可能性の芽を摘む。結果的に自分で自分を苦しめてしまう。苦しめ合う数の檻から抜け出る発想がないといつまでも不幸になるし、不幸は周りに人にも感染する。子供にはほぼ100%感染します。これが現代日本病です。

今の日本人の憐れな姿を100年以上前に予言した哲学者がいます。ニーチェというドイツの哲学者です。ニーチェは、僕たちが産まれる前から、今の私たちの姿をピタリと予言していました。なぜ予言できたのか。哲学というのは、全ての学問の頂点に君臨する最も重要な学問です。今の日本には哲学がない。ただ数を信じている宗教をやっているだけ。今を生きるあなたに最も必要なのは、哲学。

さて。今から本題に入ります。まず、ここまでご覧頂いて有難うございます。9割以上の人はここまで読み進めずに、怒りの余り途中で消したはずです。本当の事を言われているから怒る。

この動画は現代の踏絵。踏絵は鏡。鏡に映るはあなた自身。あなたは踏絵を踏んでここまで来た。あなたには期待しております。

哲学はあなたを見捨てることはない。そして、哲学は古くならない。しかも、哲学は数に縛られない。哲学は常に1対1の一騎打ちです。例えば、僕が日本人1臆へたった一人で自分の哲学で勝負しても、1人だからって1臆の数に負けることはないんです。1対1臆でも、常に、1対1で勝負される。哲学は数の大小じゃなくて質の高低だからです。質が高い方が勝つ。哲学をもって、今の日本人にとって全知全能唯一絶対神である数と対決する。

大丈夫。今からでもやり直せる、数に負けることが無くなると、悩みの多くはなくなります。悩みの原因の元はつきつめると数だから。あなた一人の悩みを解決することは、今の日本国全体の問題を解決することにもつながる。本質的な根本的な原因の根は同じ。今のあなた個人の問題の延長線上に、今の日本がある。

しかし、世界中の過去の歴史の中から、哲学を全て学んで、今を生きる自分に役立つように応用しようなんてことは、現実的に難しいですよね。もっと手っ取り早く、自分の為に役立つ哲学だけを探せないだろうか。

それを探した人がいます。自分の為に役立つ哲学だけを探し出した人。それは、私たちのご先祖様です。世界から学んだ哲学を自分たちに日本人に役立つように変えて使った。これを国学といいます。それはどんな学問だったのか。

あなた一人の問題の原因も、国全体の問題の原因も、根っこの原因は決まっています。それは、「戦後の構造の中だけの人が、戦後の構造の中だけの話をしているから」です。つまり、(数の檻の中の人が、数の檻の中だけの話をしているから)です。では、あなたと私の二人で、戦前より前の日本人の構造を見に行きましょう。

では、戦前までの時代というのはどういう時代だったのか。当時の世界は西欧の植民地帝国主義がやりたい放題やっていました。多くの人が殺されて奴隷として売られ、根絶やしにされた文明もあります。日本は、圧倒的な物量、数で呑み込んでくる植民地帝国主義に対抗しなきゃいけない。かといって、今までの東アジアのマネ事も出来ません。日本は昔からずっと東アジアの盟主であった中国から学んできた。その中国が当てにならなくなってしまった。もう、陰極まって陽になるとか言ってられない。極まる前にやられてしまう。極まるの待ってられない。

強大な西欧列強の数に勝たなくてはいけない。戦わなきゃ、奴隷ですから。当時は。妻も子も奴隷として売られますから。殺されても、文句言えない。キリスト教じゃない人、有色人種、黒人は、人間じゃない。家畜と同じでした。当時の日本人は真剣でした。世界中どこもやられていて参考にならない。すると、必然的に、日本らしさを探すことになります。こうして、日本人は、自分らしさを探すために、自分たちの足元を必死に掘り起こしました。そして、それが見つかりました。それは何か。

あなたに質問です。これは何の意味でしょうか。何の記号でしょうか。線の黒色と背景の白色を逆に入れ替えても意味は全く同じです。何でしょうか。数字で言えば、一ですね。一の左右が繋がってる。スポーツで言えば、柔道の白に黒帯にも見える。

これでもいい。どっちでも意味は同じです。色も関係ありませんよ。白と黒じゃないくてもいい。何色でも何柄が入っていてもいい。実はこの記号の意味は、戦前の日本人は子供から大人までみんな知っていた。一目で分かった。ところが、戦後の人は誰も知らない。

日本の国旗です。日本の国旗は、この旗に決まりかけていました。ところが今は何で日の丸が国旗かと言うと、当時力を持っていた薩摩藩の島津氏が反対して現在の日の丸になったんです。びっくりでしょ。今の国旗は本来これだったかもしれなかったんです。

この意味、文字、象徴は、徳川幕府が国旗として定めようとした。徳川さんのうちは、新田さんのうちの支流、分家を名乗っています。その新田の旗がこの旗の元です。じゃあ、新田さんって誰なのか。

新田さんは多くの人神を排出した御家です。その神様の一人、新田義貞公が使った道具の中でも、一番小さい物、新田さんの茶入れの道具(これを「肩衝」と言います)である新田肩衝に関する、歴史上の実話を一つ紹介します。なんと、この小さな壺一つの価値は、当時、日本の九州、全土の石高に匹敵する価値があるとされていました。一体どれほどの値打ちがあったのか。

当時、九州全土の征服が目前だった薩摩の島津さんによって追い詰められていた大友さんは、新田肩衝と引き換えに、豊臣秀吉に助力を請います。こうして、薩摩の島津さんは滅亡直前まで追い込まれました。秀吉は新田肩衝を肌身離さず頬ずりして大切にしました。こんな小さい壺一つにそんな価値が付いた。この壺の質に対して、数が、価値が後追いで付いてきたわけです。今の価値観と正反対ですよね。

島津さんにしてみれば、壺一つでたまったもんじゃありませんから、これが島津さんの新田トラウマになった。
それで、島津氏薩摩藩、後の日本軍は、日本の旗を新田の旗にすることに全力を挙げてだだをこねた。で、薩摩の桜島から出る太陽になった。薩摩長州連合の時代から、日本の官僚支配が始まりました。薩摩の島津さんのトラウマは根深かった。でも、そもそも、この壺一つの価値が不思議ですよね。新田の旗にしても、壺一つにしても、今と昔と、これほどまでに価値観が違う。180度違う。どう違うのか。

茶道で有名な千利休さんは、田中さん。田中さんは里見さんの流れで、里見さんは新田さんからの流れ。新田の流れをくむ利休さんが、わびさびの茶道を体系化しました。日本らしさは、金より銀。赤より黒。よろこびの喜劇よりもかなしみの悲劇。こうすることで、価値をひっくり返した。質で数をひっくり返した。新田にはいったいどんな秘密が隠されているのか。

新田家に新田義貞が登場した時代、鎌倉時代の末期は、家の相続、土地の相続一つで、普通の家の家庭内で親兄弟間で争った時代です。一般市民にとっての戦国時代でした。日本にルールが無かった時代です。安住の場所がなかった。みんなが、日本の中のルールを求めていた時代です。

今の日本人は「ルールがないのは自由じゃないか」ってみんな当たり前のように考えるんですが、今はお金という数、より多くの数で解決するのがルールになっただけじゃないですか。そんなのルールをお金という数に変えただけですよね。それの何が自由なんですか。全然自由じゃないですよね。ルール変えただけですよね。

新田義貞が登場したころはルールがなかった。で、みんながルールを求めていた。ルールの無い時代にルールを示したのが義貞でした。名前の通り、義を定めた。ルールをさだめた。義貞が定めた義、ルールが後の日本のルールになります。結果として、これが後の、みんなが知っている今の、世界の数の檻をひっくり返すことを試みます。が、いったん、話を戻します。お茶、茶道の話。

新田の前、源氏政権の前の平氏政権の時代のお茶というのは、中国のやり方をそのまま習った。平氏は服装も派手です。赤や金などの鮮やかな中華風をそのまま習った。紅白歌合戦や運動会の紅白の帽子の色分けは源平合戦がルーツ。平氏は赤色。源氏は白色。源氏の新田は源氏の白に黒で一。新田義貞の小さな茶道具、新田肩衝は、質素です。数字で言えば一。このわびさび、削って削って、小さい物にこそ、価値を見出すのが、日本の特徴的ならしさだった。その象徴がこの小さな壺一つ、新田肩衝だった。ところが新田肩衝にはもっと重要な秘密があります。今の日本人の誰も知らない秘密が。

新田肩衝は、日本の支配者の手を渡り歩き、最後には、新田氏流徳川光圀、光圀は水戸藩の藩主。俗に言う水戸黄門様の手に渡りつきました。

また皆さんの知らない言葉が出てきましたね。パックストクガワ。この言葉は世界の共通言語ですが当の日本人は知らされていないだけです。同じ時期にパックスブリタニカってのもあります。イギリスの平和。でも、イギリスに住む普通の人が平和だったんじゃない。お金持ち、資本家に生まれたならイギリスに住みたい。でも、普通に働く人なら日本に住みたい。日本人として産まれたかった。世界中のどこの国よりも子供たちが自由に見えたそうです。

では、パックストクガワの時代は、今と比べてどうだったのか。まず、低税率でした。ほとんどの人は産業界の人。同じ産業界の中でもサービス業の人が多いですよね。サービス業の人が徳川時代に生きていたら、税金は5%くらい。そもそも僕たちみたいな産業界には税金はかからなかった。田んぼをもっている農家であればまあ、畑で採れた米の30%くらいかかった。でも一年中ずっと同じ場所で農業をやっているわけじゃなくて、米の収穫時期以外は、手工業とか商業とか別のことやってる。商業には税金はまずかからなかった。今の日本は、税は2重3重当たり前にとられていて、お金の流れが分かりづらくされているけど、実質の税率は50%以上でしょう。

当時の日本は200年に渡ってインフレもデフレも解決しました。インフレ対策に強い金本位制はデフレに弱く、デフレ対策は戦争などで資源を浪費して物不足状態を作るんですが、幕府は戦争をしないで金融緩和をした。貨幣は瓦でも石でも何でも良いことが分かっていて信用創造の方法を国家として理解していた。大阪のこめ市場は、世界に先駆けてデリバティブを制度化した、江戸時代の金融テクノロジーは世界最高水準でした。

最高水準なのはお金だけじゃなくて、エッチ、スケベ、エロさも世界最高水準だった。これは何もトクガワ時代に限らず、日本は元々エロ大国でした。じゃあいったいどれくらいエロかったのか。男の子が10歳くらいになると、母親が信用できる女友達に、自分の息子の筆おろしを頼みます。だって10歳っていうとそろそろ出来る年ごろだから、性に関してやっていいこととダメなことを教えなきゃならない。それが済んだら、その辺のお寺に集まると求め合う男女が集まってくる。村の長老がクジを用意していて、そのクジで男女のペアを決める。ペアが決まったら例えば1か月とかはお互いのペアは変えられない。でも1か月なり経てば、いったん完全に分かれてまたクジを引いて別の人とパートナーになる。で、お母さんたちがお寺に布団を敷いてくれる。最初の内は、お寺で事に及んで、それぞれのペアがやってるのを長老が隣で見ていてくれて、直接アドバイスしてくれる。「そこを優しくこねくりまわすのじゃー!それで生まれたのがそなたじゃー!」とかね。ここで技を学ぶ。今の日本はキリスト教の影響で性がタブーなっているから、性に対して罪悪感があるから性が秘密裏に実行されるから性犯罪になりやすいんですが、性を公開して共有するとそんなことにならないんです。嫉妬も妬みも起きない。そんなこと思いもよらない。数の檻にいないから。みんなが共同体意識を持っていて、みんな共有が当たり前だったから。日本人に限らず、人類の至上命題は交換することなんですけど、昔の日本は交換が究極まで進んでいた。

もし、今の日本人、僕とあなたがが、ドラえもんのどこでもドアで昔の村にタイムスリップしてクジ引いてペア決められたらどうしますか。もちろん、一応ペアってだけで、どうしてもやらなきゃいけないこともないんだけど、おねだりされるかもしれませんよね。まず、小生も含めて、今の人が昔の人に性に関して教えられることなんてありませんよね。だから毎日させるがままのお任せマグロですよ。「今日もマグロぶ!むしろマグロしかできんブ!」ってそのまま昔の時代に居つく。でもたまーに、今の日本のことが心配になって戻ってくるんだけど、心配はするけど何も出来ないみたいな、この無力さ。「心配するだけで何もできんぶー!」って、また昔に戻って、やっぱりマグロになる。「今日もマグロぶー!むしろ一生マグロでいさせてほしいブ!」そのうち村全体の中で僕のマグロ癖がバレますから、僕の名前は勇介っていうんですけど、そのうち「うちの村の隣村、山田村の勇介君ってすごいマグロらしいのよ。しかもぶひぶひ言って気持ち悪いのよー。あいつとクジ当たったら最悪だわー。」って噂が立つ。でも、中にはマグロ好きな人もいて「私はマグロ好きなのよねー。変にこねくりまわしてくる男とか正直ムカつくんだよね」って人もいる。「それじゃあなた、勇介君と結婚したらいいじゃないのー。私勇介君とクジで当たるのイヤだしー」って話になる。ここで女たちが協力し合うんです。(今の女の人って周りがみんなライバルだから協力し合えないでしょ。でも昔は違ったんです。)それと、結婚って何も性生活だけじゃないですよね。この女性は、本当に大のマグロ好きかもしれないけど、マグロの要素の他にも、勇介君の考え方が好きになったのかもしれない。いずれにしても、複合的に決めたはずです。勇介君は、まあ、僕に限らず、往々にして喜びますよね。圧倒的な自己肯定感ですよね。自分を選んでくれた訳ですから。ここでお互いに喜び合うことが出来れば結婚します。今と正反対でしょ。今は性がタブーにされて商品になった。女性が商品にされた。美人かブスか一つの価値しかない。今の社会は若い女にフーゾクやれって言っているのと同じです。で、実際にフーゾクやってくれると、安心してばいため!って叫ぶんです。すごい女性差別です。本当は女性に限らず、男性でも若ければ差別。子供はもっと差別されている。一言で言うと今の日本は弱者に厳しい社会になった。弱者に厳しい大人が増えた。精神が現実を変えた。

以上は日本の昔の村社会。一方の大都市、江戸は当時すでに江戸は世界最大都市です。東海道は世界で最も交通量が多かった。庶民の生活も清潔で、文化の質も高かった。今の日本人は誰もしらないのに、パックストクガワという言葉は世界の常識です。どれだけ世界から羨望のまなざしで見られていたことか。今の日本が何一つ解決していないことを全部解決した。

当時世界を席巻していた西欧列強の植民地帝国主義、白人のキリスト教徒っていうのは、殺しが基本です。異教徒を殺すことは正しい行ないなので、殺すことが自分のためになるし、しかも、殺される相手のためにもなるという信じられない理不尽ぶり。だから殺すか、もったいないから奴隷にして金にする。人種差別も正しい。その白人が、圧倒的な数字の物量で世界支配を進めている。

新田肩衝を手に持ちながら、良政を働いていた水戸黄門さまは焦りました。このままではいずれ日本もやられてしまう。

いつか日本におとずれるであろう国難の危機を乗り越えるために、平和な日本を守るために、国家予算の三分の一を使って、一つの本を作った。毎年です。長い間、毎年の国家予算の三分の一を使い続けて、未来の日本人を、私たち守ろうとしました。(今の日本と正反対ですよね)。

大日本史では、日本とは何ぞやということを、歴史を編集した。した結果、新田義貞率いる南朝正統論を説いた。それと未来の日本人を守ることとどう関係があるのか。

当時の世界は西欧列強の圧倒的な物量と対決するために、国民国家、日本の場合は民族国家化して国を一つにまとめる必要がありました。そうでなきゃ対決できなかった。大日本史を編集した水戸藩からは水戸学派が。日本全国では、本居宣長らによって日本国学が興隆。明治維新によって国内の改革をします。哲学は、能登出身者が、日本の精神文化の中心地、京都の京都大学に集まって哲学の学閥を形成しました。これが能登京都学派。ちなみに、能登は、後に落ち武者となった新田が逃れた土地です。息をひそめ、ひっそりと新田が隠れていた土地です。今の日本、現代では、能登は、日本初の世界農業遺産の土地。なぜ、自然と共生できたのか。そして、今でも能登の新田さんらが先端の世界哲学現象学の中枢を担っています。日本では、国が大きく動く時、必ず新田に関わる人・地域・物が現れる。こうして日本のジャパンアズナンバーワンの時代が到来しました。日本の歴史からジャパンアズナンバーワンまでの一連の流れの説明はまた後でしますね。その前に、当時の欧米から見たジャパンアズナンバーワンとはどんなものだったのかを先に説明します。

実は当時、ジャパンアズナンバーワンの不思議な現象は世界最先端を自負する欧米の学者であれ誰も説明できなかった。近代の経済理論の檻の中からは見えない世界だった。なぜか。欧米が繁栄したのはつい最近だけの話です。近代の産業革命からだけです。それ以前はずっと暗い歴史だった。から、「歴史なんて意味ねーよ。今でしょ!」っていう考え。バカだった(今の日本人と同じでしょ)。実際に、欧米が作った近代の仕組みは、たった200年だけを見れば全部分かる。暴力とお金の支配の仕組みを知れば欧米の近代は分かる。そこには暴力とお金で強引に支配するマッチョな男の人しかいない。家族で例えると、お父さん。

金と暴力、より多くの数で支配を進める近代欧米人のマッチョなお父さん社会。もちろん、日本にも、暴力とお金を支配するお父さんがいました。時の支配者。それは、侍だったり、大名だったり、将軍だったり。一番力を持っている。一番より多くの数を支配している。

でも、いくら数を使っても支配できないこともあった。数をいくら使っても欲しいもの。この壺。壺は何の象徴でしょうか。女性器?新田義貞です。新田は日本人にとっての、お兄ちゃんの象徴なんです。まずは結論だけ。詳しい話は後でしますね。

日本を支配した歴代のお父さんは、日本のお兄ちゃんの壺を大切にした。何故か。お金と暴力さえあればいいはずですよね。お父さんだけで強引に進めればよかったはずだと思いますよね。そんなに大切なお兄ちゃんって何なんだ。

日本のお兄ちゃんは、日本の国民、日本人。日本の子供たちと、日本のお母さんとを繋いだ。その日本のお母さんは、暴力とか、お金とかに興味がない。ただただ子供たちのことが気になる。子供たちは国民のことです。一人一人の日本人ね。その子供たちは何に興味があるかというと、日本中のあちこちで、勝手に自分が好きなことばっかりしている。そのうち、好きなことを生かして自分の職業に変えていきます。これを家職制度と言います。

子供たちはいずれ成長して大人になって、その仕事は代々子供に、孫にと継がれていきます。そうすると、仕事の技が高度になってくる。仕事が楽しくなってくる。まあ当然ですよね。仕事継ぎたくて継ぐんだから。楽しくて当然。楽しいけど、働く時間はもっとずっと短かった。(今の日本人と正反対でしょ)

今の日本の構造はこうなっています。

ところが、ほんのつい最近まで違いました。日本は元々、国民一人一人の底辺、産業界から強くする構造だった。

家と職業を一体化させていた。日本の昔のイメージって固い家父長制度封建制度をイメージしがちですが、仕事の質を高めるためなら誰が家を継いだって良かった。養子に継がせたって誰だって良かった。だから、家をつぐ人は仕事を継ぎたくて家を継ぐんだから、みんな仕事好きだった。

好きなことを仕事にすると、仕事に合わせた、生活スタイル、文化が芽生える。多くの職業の場合、多かれ少なかれ大自然が相手になってくるから、自然に感謝する。自然の中に神さまを見出す。でも、日本中、職業はみんなバラバラですから、職業に合った、家に合った神様がいる。だから神様は日本全体にどんどん増えていく。文化も増えていく。多様化、個性化していく。そうすると、それをみんなお互いに分かり合って認め合わなきゃいけない。価値観が多様化・個性化していた。そこで、他の家の人同士でもお互いのことが分かるように、それぞれの文化をまとめて分かり易くしてくれたのがお母さん。お母さんがいることで、全体を見渡すことができた。

今の日本のように、国から、上から押し付ける政策は、マッチョな男性社会。お金や暴力、それは画一化均一化された政策であり、上からの命令です。これが上手く行かなくなったのが今の日本でしょ。ところが、日本はもともと、大地に根差した家々から、下から自然発生的に育てる方式だった。今の日本とほんの少し前までの日本の構造は、正反対でした。

そんな日本でも、もちろん、時代と共に現れる権力者、暴力とお金を統率する大きなお父さんが現れる。

でも、日本にはお父さんがいなくったって、お母さんとお兄ちゃんと子どもたちだけでも上手くやってきたから、子供たちは上の空です。

服従のポーズだけ。日本はもともと、数だけ持っていても尊敬されない国なんです。そして数の力が弱かった。子供たちの質が高かったから。日本は質が高い国だった。だから、日本のお父さんは質も大切にしなきゃ尊敬されない。

そこで、お父さんは子供たちの面倒を見ているお兄ちゃんに聞きます。お兄ちゃんは、お母さんに聞いてみろと言う。ここで、もしお父さんがお母さんをないがしろにすると、お兄ちゃんはお父さんを攻撃してお母さんの身の安全を守ります。お兄ちゃんは数が嫌いで質が好き。いつでも数と対決する準備がある。日本の歴代のお父さんが日本のお兄ちゃんの象徴である新田義貞の小さな壺を大切にしたことは、お母さんを大切にする意思表示だった。自分は質も大切にできる人間だと天下に示した。そして、数しかないお父さんはお兄ちゃんの意見を聞き入れて、お母さんから質を聞きにいく。

そして、家族全体が上手く回っていきます。「お母さん、今の子供たちの様子ってどうなってるの?俺は戦争ばっかりしてきたから分からなくて。」「分かりました。教えます。ただし、お父さんは今の日本の一番の力持ちですから、子供たちのために良い国を作ってくださいね。」

「うん。がんばるよ。短い間かもしれないけど、よろしくな。」で、お父さん、がんばっても頑張っても、いずれ負けた時、お父さんは切腹するんです。自分だけが死んでゴアさんにする。次の権力者、新しい父親に譲る。子どもたちを守るために。すごい機能でしょ。日本のお母さん制度と、お母さんと子供たちをつなぐお兄ちゃん制度。もし、日本がこの制度だったら、原発事故も起こらなかったし、そもそも原発が無かった。お母さんは子供たちが暮らす大地・自然を大切にしますから。

そのために、お母さんは子供たちと自然の歴史をまとめておいてくれているから、津波が来ることだって予測できる。お父さんは責任を持って、津波が来る前に子供たちを逃がしたでしょう。お互いが役割分担をしていた。個性を発揮して認め合って高め合った。弱者に優しい国体だった。(今の日本と正反対でしょう)この制度こそが、昔も今も一貫して日本が世界に誇る日本のナンバーワンブランド。

天皇制です。子供は国民。国民と天皇をつなげたのは国民のお兄ちゃん、お兄ちゃんが新田です。日本の四大氏族には源平藤橘がありますが、中でも、源氏嫡流の家宝である鬼切丸と鬼丸国綱を両手に持った新田義貞、新田源氏は名実共に日本人全体のお兄ちゃんの象徴です。「一」を左右に繋げた記号が「一郎」等「長男」の象徴です。この長男の役割こそが、国民の為に国民全体のお母さんを守ることでした。では、そんな昔の日本と、今の日本はどう違うのか。

まずは下から。今の日本は数と比較する比例で権力は分立バラバラの数主義は宗教です。三権分立の司法立法行政って政祭金の下の概念ですからね。行政に一人勝ちさせてグローバル大資本家が数で国を乗っ取るために分立させているんです。目的はそれ。その目的のために作られた教科書の内容を信じる宗教をやってるだけ。民主主義するくらいなら、サイコロ振ってテキトーに決めた方がまだましな結果が出ます。

政治家の政党やテレビ局を右翼左翼右側左側で分けるのも、全部、数の檻から出さないための作戦。一番右側のはじっこから、一番左のはじっこまでは小さな土俵。数の檻の中にある小さな土俵の一つにすぎない。いわゆる右翼は既得権益者のために動いて、いわゆる左翼は既得権益に反対するように見えても、結果的に既得権益のための行動を選ぶしかない。どうにもならないことに時間を使わせようと仕向けてくる。で、どっちに転ぼうが結局は数に変えるだけ。だから、その時その時の気まぐれで日本がどっちに転ぼうがどうにもならないからね。

日本は、戦後から、完全に米国の一極支配です。例えば、保守も自由も、右翼も左翼も、朝日も産経も、日本中の何から何まで、お互いに敵対勢力同士を演じながら、実は、お互いのお上同士は共謀し合ってきた。

下の国民は何の疑いもせずに、やれ政治だ選挙だとムダな事に時間を使えば使うほど「世の中は(自分達を含めた)勢力間のバランスで動いている」と信じて疑わなくなった。そう考えなければ今までそれに時間を費やした自分の人生を否定することになるから。

みんな壮大な出来レースの上を同じように歩かされているだけです。数の檻の中全部ムダ。檻の中の私たちの日常生活も同じくムダ。建前主義、ダブルスタンダード、矛盾に耐えられなくなってきて今に至る。国民全員が現代日本病を発病した。

かつての日本は政治も祭事もお金も一致。四方八方隅々までを勝手に自分の子供たちだと想ってくれるお母さんがいて、一君の下にみんな平等公平。君主と民の間の利害がぶつからない。互いに奪い合う関係ではない。お互いの役割で共治する。繋いだのが新田の記号。一瞬の陰陽。日本は最高の統治形態を創造済みだった。

世界中の全ての宗教を吸収できる包み込むお母さん制度。寛容なお母さんは妬まないし、ひがまない。ヒステリーじゃない。キレない。おおらか。だから子供はどこの宗教を信じたっていい。お母さんの元、国籍、肌の色、関係なく子供はみんな平等。それぞれの個性を伸ばし合って質を高め合ってねという制度。当時、白人以外で列強とギリギリ肩を並べたのは日本だけで、日本が人種平等を世界に叫ぶリーダーだった。あなたのご先祖様、かつての日本人は、真に世界の希望の星だった。ここをイメージできるようになると、あなたの現実社会が良くなりますよ。精神は現実を作る。

それに比べてキリスト教徒は、支配される国民と、支配するするお父さんと支配される国民しかいないから。金と暴力だけの、数だけの支配しか知らない。

彼ら白人が力を持ったのは長い歴史の中でつい最近からです。それまでは長く暗い歴史しかなかったから歴史を振り返らなかった。でも、彼らがキリスト教徒になる前にはパックスローマと呼ばれる平和な時代があった。このころはみんな難しい考え事ばかりしていたから頭が良かった。から、民主主義が健全に機能した。でも、考えることを優先したために働かなかった。働くことは奴隷にさせた。働くことは大自然と繋がる。だから奴隷は自然と繋がっているけど、考える人は自然とつながってなかった。後の、自然をないがしろにする主義原理、数の檻につながっていく。奴隷制あっての民主主義だった。自然をないがしろにする奴隷制あっての民主主義。なんか、(今の日本みたいですね)

かつての日本は植民地帝国主義に対抗すべく、欧米から学んで、吸収した。ところが、もっと良い歴史文化が自分たちの足元にすでにあったことに気が付く。日本は世界を相手どって、質で数をひっくり返そうとした。近代を超えようとした。では、日本は何を目指したのか。近代の超克。それは、かつての欧米列強の支配体制、数の支配との対決でした。

日本は数と対決すべく、準戦時経済体制を整えます。この経済体制とは、財界と産業界を、それまでの株主経営経済から、日本のいえ職制度、お家制度に習って、事業主経営経済に切り替えました。株主経営経済は数の支配。自由に行き交うより多くの金が支配します。会社は株主の物です。金持ちのもの。ところが、日本の戦時経済体制である、事業主経営経済は、事業主、社長をお家の家長とした会社が家族です。

家職制度のお父さんを、それぞれの会社に作った。極論してしまうと、数の支配に対しての独裁制です。家職制度下での仕事は金じゃなくて人生だった。人生の質の高さが、相対的な数の大小を支配した。質で数をひっくり返した。つまり、日本は、数の理に対してたった一人で対抗させました。そして、日本は勝ちました。1対1の勝利どころか、数が支配する資本主義キリスト教徒欧米全てに勝った。

かつての日本人は、今の原理原則と無縁だった。今の原理原則よりもより良い原理原則で生きてきた。数の檻とその中に含まれる全ての原理原則をやっつけてしまうでしょ。これこそ革命。世界革命。それも、一本んでやっつけてしまう。

それも一太刀で。しかも一瞬で。これが一瞬の陰陽。だから昔の日本は、今でも世界中から尊敬されています。誇り高かった私たちのご先祖様は、今を生きる私たちに、それを伝えたかった。ここが伝わっていないことが問題です。重要なのに、誰も知らない。何でかって、戦後最大のタブーの源だから。

もし、日本が、戦争に負けていない主権国家であれば、今の世界秩序は大きく変わっていました。ところが、ジャパンアズナンバーワンが訪れる前に、アメリカにブロック経済をしかれて、物資がストップ。焦る陸軍が開戦を決意。敗戦に至ります。薩長連合官僚制の敗北。

無念の敗戦後、ジャパンアズナンバーワンが花開いた。ついに日本は近代を乗り越えた。数に勝った。ところが、アメリカに負けた後だったので、アメリカの言うことを聞くしかなかった。

で、潰されます。アメリカは近代金融工学の国です。そして、宗教では、キリスト教右派の国。キリスト教っていうのは、数にすがる。アメリカの資本主義は株主経営経済の自由市場。数を、お金を一番強くしたい。それもなるべく単一の通貨にしたい。数に変えるには画一化・均一化しなければ支配できない。だから全てを強引に数に変える。

ところが、質は多様化・個性化していく。質の高低を互いに認め合う。これじゃあ数で支配できない。だから、日本の伝統である家職制度を模倣した事業主経営経済は気に食わない。それがより多くの数が支配するはずだった世界を席巻するなど、許されないことです。

日本の成功は、アメリカの経済原理の資本主義の批判になるだけではなくて、アメリカだけじゃない。欧米白人全体にとって至上の政治原理である民主主義さえ批判することになる。で、潰された。次に、戦争の敗戦以降から現代までの日本を、順を追って見ていきましょう。

ここからの流れが、現代の流に繋がっていきます。経済のことだけ知ってもあんまり意味もないので、興味のない人は聞き流してください。なんとなくの流れがザッと分かればいいですから。で、この先からは日本はずっと真っ暗でした。アメリカの貿易赤字帳消しのプラザ合意から始まって、バーゼル1・2、米保守本流の日銀の信用拡大と縮小。銀行への窓口指導と、超低金利にして国債へ回す。で、産業界を空洞化させて、本来は起こるはずのないデフレ地獄。日本型の事業主経営経済の破壊が完了します。そして、アメリカ型の社会へ、アメリカ社会の下支え経済に作り変えてしまいます。この一連の流れだけなんとなくでも分かればそれでいいです。小泉改革の新自由主義路線、アベノミクスでのドル買いと円安による財界グローバル主義。日銀が財務官僚をトップに据えた時は金融政策を失敗させるサイン。円を国際化させない。GDPが上がらないのに物価だけ上げて、しかも増税。国内の設備投資増えない新しい産業も起きない。付加価値上がらない。デフレの方が、まだましだったというスタグフレの流れが2014年現在。労働条件が19世紀に逆戻りという奇跡の国日本。

今の日本の流れだと、みんなそろって自己責任!みたいな流で確定でしょうね。本当は不平等なんですけど。
日本が世界一だった時代は、人類の経済問題の克服は日本から興ると言われて羨望されていました。一億総中流とも言われていましたが、誰もお金には困っていませんでした。お父さんだけ働いて、女性は専業主婦で子供何人も育てて当たり前だった。(今と正反対でしょ。今の男女平等って言葉だけで、レイプされても何もできないのにね。女性も働かせて、所得税取って、女性の子供を学校とテレビに依存させて洗脳するためですからね。数の檻の作戦。)今では一部を除いて一億總下流に落ちるという、僕が生きてきたたった30年だけで、この没落ぶり。(これほどのケースって世界史上で他にあるんですかね?)

経済だけの話ではない。全ての問題は連動しています。この時期から始まった社会問題が深刻化してついには手遅れになった。分かっていたのに進んだ少子高齢化もこの時期からです。何のためにわざと政策を失敗させ続けてきたのか。もちろん、日本の歴史文化伝統家族制度の解体。米国からそういう命令があるのだろうと、断定せざるを得ない。ってことは、断定して正解。この大局の流れをボヤッと見渡す。その日のニュースとかで一つ一つを見たって何も分からない。政治は日本を変えない。その時々の日本の政治家のトップの言動をチェックしたって、何も分からない。彼らは、ある時は自由の仮面を被り、あるときはタカ派の仮面を被っていても、上っ面をはがせばアメリカの忠犬ポチ公なんだから。でもポチじゃまだいいですよね。きっと、ご主人様に可愛がってもらえるんだから。でも僕たちは家畜、ブタですからね。「僕たちブタには日本の未来のことは考えられないブ!さしあたって、今日のエサがまだブー!エサ出せぶー!」ってね。忠犬ポチが、ブタのためのことをやったことろで、ブタはそんなことも分からない。評価してくれない。だったら、ブタの世話するより、ご主人様に可愛がってもらった方がいいですよね。だから、全て、しょうがない。彼らの責任にしたってしょうがない。国ぶっ壊そうと思って政治家を志す人はいないでしょう。でも、実際に政治家をやってみると、力が働いて、正しいことが出来ないんでしょうね。この途中で、日本のためにまともなことをやっていた小渕さんだけ突然死んじゃったし。日本全体を変えるってことは大変なんでしょうね。だから、みんなやれる範囲でね、自分の裁量の及ぶ範囲で、こっそりとこの国のために良いこともやってくれているんだと、願います。彼らを責めない。許す。政治家だけじゃなくて、官僚も、メディアも、キリスト教徒も、グローバル大資本家も全部許す。許して、しっかり絶望してから、さて、じゃあ私今からどうしましょうかと。自分が変わるしかない。変わり方は後で説明します。この辺で経済の話は一旦終了。

歴史からの全体の流れが分かっていると、未来が見えてくる。今の経済問題だけ、社会問題だけ、政治問題だけ見ていても、何も見えない。だから、歴史から、全体の流。この大局を眺める。

社会現象で言えば、戦後はずっと愚民政策、愚衆教育。バカを増やすための教育ですから。数値化した偏差値で後の人生や進路、待遇が決まることに従う従順な人間を育てないと、日本のピラミッドは崩壊してしまいますから。戦後からは全て数です。医療も科学も、多数決、みんなのためも全て数。

教育の結果、アメリカ人に劣等感を持って、さらに、尊敬するまでになってしまった。しかも、キリスト教を信じていることすら気が付かない。キリスト教を通り越して、数を信じるようになった。アメリカ製のスニーカー一つで襲撃事件が起こる。人間はいったいどこまでバカに出来るのか壮大な実験は成功した。さらに何と、アメリカの、労働者の使い捨ての作業着であるジーパンに、プレミアム価格が付いた。これには当のアメリカもさぞ驚いたでしょう。アメリカは本土のヨーロッパと比べて、文化が無いことがコンプレックスでしたから。その国の使い捨ての作業着にプレミアがついたんですよ。数を操ることで、さも質が高いように見せかけることができた。かつての日本は質で数をひっくり返したのに、今は数で質が変えられてしまう。何もかもが正反対。

この世代が親として子育てしてから、アホは子供にも感染する。子供はいつまでたっても親が好きですから、親を嫌いになれない。つまり、親が信仰の対象としている数を批判することができない。無意識の中に打ち消してしまうんです。それを乗り越えたのが哲学者のニーチェ。ニーチェの親はキリスト教徒の牧師だったのに、ニーチェはキリスト教を批判した。だからニーチェは今の日本人の心を打つ。ニーチェを通して、子供のころに押し殺してしまった感情が湧き出てくるから。子供は、今の大人社会が、おかしいことを分かっています。だから子供はたまに大人がドキリとする本質的なことを言う。でも子供から大人になるにつれて、子供の時の感情を無意識に押し殺してしまって、自分に対してへの個性へのアイデンティティーが育たない。自分個人を認められない。で、物心ついたころには、親が信仰した同じ数の檻の中でしか安心できないネトウヨとかに育ちます。子供のネトウヨ化は、元は、親の心の病気が原因です。親を否定しきれない子供は、自分を通して、社会へ今の日本のおかしさを訴えようとしています。子供は親のためにネトウヨになるんです。まあでも、この現象は、治せるんですよ。家族みんながこの動画でもじっくり見て理解できれば。

スニーカーとジーパンの話は知ってる世代もいるでしょうが、その他の今日聞いた話は、だいたい初めて聞く話ばかりだったんじゃないでしょうか。具体的には、新田の旗、新田の壺、新田の記号の意味、新田徳川幕府時代のパックストクガワ。大日本史の新田南朝正統論、新田が逃れた土地である能登からの京都学派、そして今現在でも、能登は世界農業遺産と世界哲学現象学を牽引している。事実なのに。初めて聞く。なぜか。

戦後GHQによって戦前の日本の歴史の一部がタブーになったからです。今がどんなに辛くても、戦前よりマシだと思わせることができれば、アメリカ様ありがとう!って流になるから。そして、今の日本政府ありがとう!って流れにできる。そのために、昔の日本は不幸だったと思わせる。そこで、戦前の歴史の一部はタブーになった。それらのタブーの元は何か。天皇ですか?そうです。天皇もタブーです。実際に、今の日本人は天皇のことを何も知らない。ぼやけた存在です。でも、天皇の存在はぼやけたままでGHQによって利用されました。

天皇をキリスト教の代用にした。こうすることで、キリスト教を意識させず、宗教を意識させずに、数信仰にすり変えればいいだけだったから。で、今の日本はその通りの結果になっています。でも天皇をよく知ると、天皇のお母さん像と、キリストのマッチョなお父さん像とは全くの別物だってことがばれてしまう。そこで、国民から見た天皇を、ぼやけた、あやふやな存在のままにしてごまかすために、天皇と国民をつないでいる長男の新田をタブーにした。

もちろん、歴史上実在した人物を全くいなかったことにすることは不可能です。そこで、新田を無意識化させた。いかい、とは、日本に功績を残した人が、死んだ後に天皇陛下から贈られるくらいです。しょういちいとは一番のくらいです。新田義貞と同じいかいしょういちいの三条さねとみさんは、キリスト教嫌いで知られ、西南戦争当時に博愛社(後の日本赤十字社)が結成された際、白地赤十字の標章を「やそのしるしじゃ」と認めず、“日章の下に黒線1本”に変えさせた。日章を下で支えた黒線1本が新田でしょ。黒線とか、横棒とか、挙句には線とか棒にされてしまうと、もう何が何だから分からなくなってしまう。「線じゃない棒じゃない。それは新田だ!」って言えば、「日本の歴史に所どころ出てくる新田って何かしらーどういう意味かしらー」って話にもなるけど、棒とか線じゃ何が何だか分からなくなってしまっている。意味を分からなくして無意識化させて、さらに、御用学者を通して新田の評価は180ど変えて、国民の意識を新田から反らした。実際に、戦前と戦後で天と地ほどに評価が一変した日本史上の神様は新田義貞を除いて他にいないでしょう。だって今実際に新田のこと誰も知らないんだから。

戦前は日本の英雄を上げるとするとまず新田義貞が当たり前でした。国民全員みんな知っていた。だからこの記号も、意味もみんな知っていた。一目で分かった。でも今は誰も知らない。で、今の日本では本質的な話をできる大人がいなくなった。本当の話が何なのかさえ全く分からなくなってしまった。判断基準が無くなった。判断の質の軸、線、棒、本質が無くなった。

新田は質で数をひっくり返そうとする。数を攻撃する質の番人です。ところが、アメリカにとって質は守られちゃ困る。数だけにしたい。新田をタブーにすることは、

国と家を分断すること。国のことは国のこと。家のことは家のこと。国民はそれぞれ別々で、国と国民を切り離して、あげくには国民同士も切り離した。みんなはみんなのために。一人もみんなのために。より多くの数のために、少ない数字はないがしろにされる。数字の一。新田の横棒一本も一。一、一人はもっとも少ない数字なのでもっともないがしろにされる。そしてみんな一人になった。合言葉は自己責任。今の日本はその通りの結果になっています。一人の人の質の高さ、個性は要らない。一人は一っていうただの数字にしましょうということになった。こうして一人の尊い質が下品な数に置き換えられた。下品。下品は日本に似合わないのに、今では下品が常識になった。みんな今の常識の中で、自分は善悪の判断すら出来ると思い込んで疑わなくなった。一億が下品になった。下品になって不幸になった。

人間が数に変えられた社会では、人間の質や個性はいらない。その代り、目に見える現実の物理的な数字、数の多さこそが、質の高さを生み出すんだと今の日本人は考えるようになってしまった。そう信じて疑わなくなった。その大人が子供を育てるので、子供に考え方がほぼ100%近く感染する。考え方って言うか、実はただの宗教でしょ。数を信仰する宗教。例えば母親であれば、過保護過干渉になる。もしくはその反動で全くの無干渉になる。母親も他の大人たちと同じで、自分には可能性はないと思い込んでいるから、子供に学校での偏差値の数を求める。より多くの数を求める。母親にとって子供の偏差値が自分の評価になってしまう。そして、学校の先生なんてのは、まあ、何もできない。数で測るだけ。そして、家庭を出て学校を出て、社会に出ても、数字、お金を求められる。今の日本人は、生まれてから、家庭から、教育から、社会から、どこに行っても自信を持たせてもらえません。みんな自信がなくて自尊心を下げられるから、他人の自尊心も奪ってしまうという負の連鎖。自分一人の可能性が否定されてしまう。一人じゃ何もできないと思っちゃえば、より多くの数の中、日本人の数の中の一人としてしか、心のよりどころがなくなっちゃう。そうすると、周りの評価を低めることで、日本人の全体の評価を相対的に高めて、その数の中の一人でいることでしか劣等感を埋められなくなる。だから、「韓国がー!中国がー!」っていう、排外的なイデオロギーの虜になる。ネトウヨみたいに育つ。これでは不幸ですよね。

個性よりも数を求めることを優先すると、個性がおざなりになる。数には個性がないから。同じ数だから。だから、人と違いのある個性を押し殺して、人と同じ数を求めて、数が自分の評価だと思い込んでしまった。私もあなたも、みんなも、本当はここに怒っている。本当はここに怒っているんだけど、今まで言葉に出来なかった。ところが、まだ今の大人社会に浸かっていない、幼い子供たちは、今の社会がおかしいって分かってますよ。ただ子供は言葉が分からないから上手く意志疎通できないだけで、言葉以外で意思を伝達する手段があれば、みんなおかしいって言います。つまり、今の大人たちも、子供の時は今の社会がおかしいことは分かっていた。でも大人になるにつれて社会にどっぷり浸かっていくうちに、子供の時の正直な気持ちを無意識に押し殺してしまって分からなくなってしまった。子供のころの正直なあなたは、今のあなたに怒っている。

僕が今日この動画で説明してきた話は、僕も普段の日常生活で、いろんな人に実際に話している話です。ある日、僕の話を聞いた人から次の日に連絡があったんです。その人は、僕の話を聞いた日の夜に、「あなたの話を聞いた夜に、すごく良い夢を見ましたー!すっごく感動したんですー!」って言うんです。で、僕はそこで、「どんなシーンが夢に出てきましたか?」って聞くと、「幼―い頃の、兄弟が出てきたんですー。その姿を見て、感動したんですー!」ということでした。夢に出てきたこの兄弟は、実はその人自身なんです。兄弟はその人の分身として夢の中に出てきた。つまり、自分自身の幼い子供時代が出てきた。本来の自然な自分が、僕の話の内容を歓迎した。僕の話を喜んだ。

この人は、夢の中で、無意識で、夢を見て、感動した。可能性は開けた。この人は、現実社会でも、夢を見て感動できますよ。夢が、現実になる。質が、数になる。一瞬の陰陽。私も出来る。あなたも出来る。今夜寝て起きて、夢を思い出す。せっかくここまでこの動画を見たんだから。夢から覚めたら、夢を思い出す。この動画を、あなたの今後の人生に、もっともっと役立てるために、今夜、寝て、起きたら、夢を思い出す。人間は必ず夢を見る。ちゃんと思い出せれば、感動して泣いてしまうかもしれない。夢で、感動する。現実のあなたにとって素晴らしい出来事。あなたの中の無意識がこの動画で伝えた内容を喜んで歓迎する。夢を思い出せるまでは、毎日、少しでもいいから、この動画をちょっとずつでも見る。気になったところだけでいい。そして夢から覚めたら夢を思い出す。

私とあなたに限らず、誰だって同じこと。すでに大人社会にどっぷり漬けられた大人は、普段は抑圧されている無意識が夢の中からあふれて出てくる。無意識を意識化させることは自分の現実社会を良くできる。無意識はそのことを知っているから、あなたのためにメッセージをくれるんです。そのメッセージは、僕が言っていることが正しいと言う。日本人1臆人の大人社会に対しての私一人。一人の質が1臆の数に優るからでしょ。ほら。質が数をひっくりかえした。1対100でも1対1臆でも、そこに数の大小は関係ない。1対10億でも勝てる。だって、日本人以外の世界中の子供たちも元は同じ子供でしょ。例えばキリスト教徒の親の元に生まれてきた子供だって、元々キリスト教徒として生まれてくるわけじゃないんだから、キリスト教徒の大人社会がおかしいことは分かっている。だから、僕の話は1対10臆にも留まらない。さっきまでの僕の話は日本の歴史の話。今、国境も民族も超えた話。人類の普遍的な話。数との対決。

このままだと話が広がりすぎてしまうので、もっと身近な話に戻しますね。今の日本人で、何も困っていない人って、ほぼいない。そりゃ、この近年でこれだけ急激に悪化したのだから、当たり前なんですよ。みんな何らかの形で困っている。原因は数の檻の中だから。でもその檻はうそだった。今の現実社会での物理的な数はあなたの評価でもなんでもない。偏差値とか、給料とかね。今の数はただの制度上のヒエラルキーなんです。で、近年始まったばかりのこの檻がもう今すでに機能しなくなって限界点。だってムダだから。だから、いつまでも今の檻にしがみ付くよりも、まあ、あまり今の檻を真に受けない方がいい。何より、真に受けると、ろくなことがない。今のルールが作った今の現実社会は、精神を破壊する。自信も自尊心も持たせてもらえない。ここが一番重要な問題なんですよ。今を生きる一人一人のいろんな問題の根っこって、自尊心の欠如なんですよ。今の時代に自尊心を高めることはすごーく重要なんです。自尊心を高めれば、自分がやりたいことを見つけて夢中になれるし、差別もなくなるし、いじめもなくなるし、病気もなおるし、自殺もなくなる。今の日本は自殺大国ですよ。終わってる。死ぬ人は何を考えて死ぬのか。どう考えても、死んだ方がいいのであれば、私は死ぬことを止めない。死ぬべきだと思う。しかし、それは今まで、たった今だけのルールを真に受けていたから。見え方を変えれば、自殺は考えないはず。僕の親友も死んだ。俺の親友でも死ぬんだぜ。ちゃんと説明してあげてりゃ、死ななかったはず。私は自分の役割を果たせなかった。死んだ親友は、私にとってかけがえのない一人でした。同じ境遇の人が、今、日本中に沢山いる。あなたにも、かげがえのない一人がいるはずだし、同じように、あなただって、誰かにとっては、かけがえのない一人だ。

かけがえのない一人は、日本中のどこにでもいる。かけがえのない一人を一瞬で失った一人もいる。東日本大震災の津浪で、自分以外の家族7人全員を一瞬で失った、一人だけ生き残った幼い少女。その少女をドキュメンタリーのテレビ番組が放送した。震災直後だったから、みんなテレビに釘付けだったはずです。だから多くの人が見ていたはずです。あなたも見ていたかもしれない。幼い少女は、こういう言葉で締めくくった。「他人の力は借りずに、なるべく一人の力で生きていきたい」って言っていた。津浪で一瞬で家族全員失った少女がそんなこと、本当に思うか。この言葉は本当の少女の言葉だと思うのか。一瞬で家族全員を失って、天涯孤独になった少女の本当の言葉だと、本当に思うのか。おかしいと思わなかったのか。そんなことすらも分からなくなったのか。恥を知れ。今のおまえたち全員、俺の怒りはおまえたち日本人全員への怒り。1臆への怒り。数への怒りだ。この少女は、あなただったかもしれない。あなたにも、おこりえたことだ。

たった一人のために、より多くの数と対決することこそが、知恵と勇気を育てる。一人の質を高める。一人の質は数を変える。変わる時は一瞬。一瞬の陰陽。日本人一億が気付けば日本国、全体の問題は解決する。日本だけじゃない。世界の問題も解決する。人類が対決するは、まさしく数。数との対決。私は、何も、新しい話などしていない。あなたの尊いご先祖様からお伺いしたことを、あなたにお伝えしたまでだ。

豊かな自尊心に育まれた、誇り高い、あなたのご先祖さまは、今のあなたのために、数と対決した。数の檻の中にある原理原則に勝った。

数の檻を壊した。あなたのご先祖さまは、今を生きる、あなたの役に立つことを望んでおられる。今のあなたの役に立つこと。なぜならば、あなたのご先祖様にもさらにご先祖様がいる。ずっと繋いできたご先祖様がいる。あなたは、つなぎ続けたかけがえのない一人だから。あなた一人にこそ無限の可能性をみる。ご先祖さまにとって、あなたは数じゃない。

今日学んだことを、今後のあなたの人生を良くするために役立てましょう。数の檻から自由になった今のあなたは、1時間前までのあなたとは別人のはずです。もうこの動画の効果はあなたに出ているはずです。誇りを持てた。自尊心も保てる。自信も付く。自己肯定できる。イメージを高めれば高めるほど、可能性が広がっていく。今日、日本の歴史の中でも一番大切なことを知れたんだから、自分のご先祖様にも敬意を払うことができるでしょ。すごかったんだね。頑張ったんだね。ありがとうね。もう一歩だったんだね。と心から言える。それは自分の心に返ってきます。今までなんとなく仏壇に線香上げていたのとは訳が違う。自分の先祖に感謝するんだから、すぐ自分に返ってくる。圧倒的な自己肯定感と自尊心を持つ。あなたは素晴らしい。自分一人の可能性、個性を認めて、高めることができる。同じように、他人の可能性や個性も認めて高め合うことができるようになる。精神上から、自分の自尊心を高めることで、結果として現実社会での自尊心を高めることができる。精神から豊かになって、一瞬の陰陽をする。物事の見え方、解釈の仕方も自然と良い方向に変わっていく。

新田の旗の意味、白地に横黒線一本は、柔道の黒帯、柔よく剛を制す。柔は母。剛は父。柔で包み込んで一本でしょ。一本勝負は、一を左右に繋ぐ意味は、東洋の陰陽よりも早い一瞬の陰陽。日本には、豪華さ、華やかさを決めるとされた、より多くの数に対して、たった一輪の小さな花、蕾を尊いとする文化。動の中の静。静の中の動。柔道、剣道、茶道、忍者、合気道に限らず、日本文化の底に流れる一本の本質でしょ。今もなお、世界の中で素晴らしいと賞賛されている日本の本質でしょ。記号の意味を知ると、少しずつ、つながってくる。今日の話はすごく抽象的な話に聞こえるかもしれないけど、実はすごく具体的な話でしょ。

今日この動画を見た効果はもう出ている。今までと発想が逆になった。考え方が逆になった。ボヤッとでも全体を見渡して一つが見えるようになって、一つを見てボヤッと全体が見えるようになる。ところが、昨日までは最初から目先の一つだけを見ていたでしょ。例えば、目先の今日明日のニュース、世間話、人間関係でしょ。昨日までとは発想が逆になった。考え方が逆になった。今日からは少しずつだけ、世間の無用な物事に振り回されなくなる。悩まなくなる。自分一人で志も立てられる。ほらあなたも一瞬の陰陽出来た。ゆっくり楽しみながら何回かこの動画を見ればきっと出来るようになる。ちょっとずつでいいから、気になったところだけ毎日少しずつ見る。そうすれば少しずつ良くなる。(もうこの動画を見た効果は今すでにある。効果が出てる実感はないでしょ。この動画の内容に意味が有りすぎた。意味が濃すぎたから。これがこの動画じゃなくて、その辺の普通の実用書だったら、内容が少しずつ分かるから、「まあ、少しは役に立ったかしらー」って思える。でもこの動画は一瞬の陰陽だから、変わったことにすら気が付けない。だからもう本当は効果は出ている。だって、動画の最初、5分で数の檻が分かって、続きの10分で今の日本の構造が分かって、さらに続きの10分で、10年間が覆ったんだから。ってことは、今まで吸収してきた情報の多くはムダだったことが分かった。このムダだった情報が99%とすると、実にムダでしょ。その99%に振り回されてきわけだけど、もう振り回されなくて良くなったんだから。そして、本当に必要な情報はほんのちょっとでしょ。例えば1%とか。そんなもんですよ。ムダだった99%を捨てて必要だった1%を選べばいいんだから。ってことは、ほら、もうすでに時間という数が増えた。あなたの数が増えた。物理的な数が増えた。桁違いに増えた。一瞬の陰陽。

最後はさらに抽象的な話をします。でも実はすごく現実的な話です。すごく役に立つ話。精神上のお母さんや家族を意識できれば、現実が楽になる。ただの空想だけど。それで実際に現実が良くなる。代わりの人が現実に現れる。現実の人間の精神状態が良くなる。廻って現実が良くなる。一瞬の陰陽。もし、日本人に精神上のお母さん天皇がいなかったら、あなたは今ここに生きていなかったんです。先祖のどっかで根絶やしになってたんです。どっかで途絶えてた。「えー!」って思いますよね。「そんなはずないでしょー!」って。「家と天皇は関係ないしー!」って思うでしょ。関係あるんですよ。ここでは説明は省くけど。結論だけ先に言うと、やっぱり精神が現実を産みだす。精神上のお母さんがいて、現実の今のあなたが現実としているんです。(今はまだ意味は分からなくていいです。聞き流せばいい。聞くことに意味があるから。)そして日本人のお兄ちゃん役を演じた新田さんは名実ともに正真正銘のわたしたち日本人のお兄ちゃんなんです。つまり、新田さんはあなたの家の精神上のお兄ちゃん。実際にみんなどっかで新田一門と血が繋がっている。

お兄ちゃんである新田義貞が名前の通り義をもって定めた日本のルールは、こんにちの世界の最先端のルールと比べても優り続けている。非力なお母さんを守るお兄ちゃんがいて、お父さんがお父さんの役割を果たすことで、子供が守られる。あなたの家が守られる。家だけじゃない。大地に根付いた自然と共生する文化、日本の歴史の核心です。日本の歴史、日本国学は、世界の哲学を吸収して近代を超えようとした。今を超えようとした。だから国学は今を生きるための哲学としてそのまま使える。

もちろん、国学を勉強する以外にも、自分の人生を良くする方法はあります。でも一番肝心なこととしては、一個一個の心の問題を一個一個の小手先のテクニックとかで一個一個変えて行くよりは、心の全体を変えることで、結果的に一個一個の問題が解決されて、てっとり早い(かなと思います。第一、自分自身の一個一個の問題ってのはなかなか意識できないのでね。)

いずれにしても、これからの時代は哲学なしじゃ生きづらくなるということです。僕に聞いてくれれば、まあ、答えるんですが、ご近所さんだったらね、いつ相談してくれてもいいんですけど、僕はこういう難しい話が大好きなんで、もう酒一本でも持ってきてくれれば、ご機嫌で話しますからね。しかも大酒のみのですから、僕がお酒を飲み終わるまで帰してもらえません。帰ろうとしようものなら「なに、帰るだと!今、私の話を聞くこと以上に重要なことが、お前の家にあるのか」笑 ありますよ。たくさん。そんなこと言いませんよ。

次は今を生きる日本人の普段の生活サイクルについてのアドバイスです。

若い時期であれば、同じスポーツ、一つのスポーツに時間を使いすぎないこと。野球もサッカーも、それでやってけなきゃくいっぱぐれる。し、つぶしが効かない。ましてや、みんなが憧れるスポーツは特にダメ。具体的に言うと野球やサッカー。若い貴重な時間である10年を同じスポーツをやり続けて、夢やぶれて、社会人になっても同じ時間に野球やサッカーを毎日テレビ観戦とか目も当てられない。

それ数の檻の作戦ですからね。なるべくみんなに同じ物見させるのは。価値観が一元化してくるでしょ。中高年にはなるべくみんなに野球を見せて、若年層に広がらなくなったから代わりにサッカーを当てた。正月はみんなで駅伝もそう。

どういうことかと言うと、物事に対して、世間に対してミーハーにならないこと。今だけカッコイイとされている物事に憧れないこと。この考え方は何もスポーツだけに限らずに、みんなに当てはまる。

例えば、アメリカの俳優に憧れて、スターバックスのファンで、時給1,000円で働いて、年とったらポイ。コンビニ店員もそう。若い時間が無駄になる。ウィトレスとかレジ打ちやったらダメ。つまり労働者にならない。創造者になること。でも、もちろん、創造者なんて難しいそうだと。では、学校に通っている時代から労働者ではなくて支配者を目指すとする。今の日本のヒエラルキーはこうなっている。

一般人から支配層に行きたければ、官僚を目指すことが近道そうだと。そのために出来れば東大あたりへ進んでキャリア組になる。最悪でも4年生大学へ入って普通の公務員が滑り止めだと。ところが、官僚も公務員も年功序列なので、すぐに待遇が良いわけではないし、この階層はもっと、広く浅く、もっと実物の富士山の形に近づいて行きます。どういうことか。この階層は能力の違いによって作られた階層じゃなくて、ただのヒエラルキーだから。ヒエラルキー上位者の行動原理は保身です。公務員官僚の行動原理も元々保身。自らの身を守ること。つまり、上の人がますます保身することによって、若い人にとって、上は狭き門になってくる。若い人は上への採用人数が減ってくるはずです。ただ警察は減らない。今後ますます警察国家化するから増える。

しかも、いつこうなるか分からない。こうなったらどうなるか。ジンバブエみたいなことにはなりませんが、南欧諸国型の破綻。具体的にはギリシアがどうなったかを見てもらえれば参考になります。ハイパーインフレなんてことはないし、1つでもケタが変わるなんてことも無いはずだったんだけど、、、、少なくてもデフレ時まではね。でも、今はデフレ時よりもさらに悪い方向へ舵取りを進めているので、それどころじゃない済まない状況です。ここはしっかり絶望すべき処です。

今となっては、破綻じゃなくて局地的な戦争起こさせる段取りかもしれない。(っていうか俺はそうだと思う。戦争でもさせないと海渡せないしさ。)日本と中国と戦争させればアメリカの借金チャラにできるし。(中国側のね)武器も消費できるし。現実に戦争準備の法改正も政治家にやらせて、ここ数年、若者向けへの戦争プロバガンダが凄くなってます。あんなの作為的に予算を組まないと興らない現象ですよ。

で、直接の戦争があってもなくても(敗戦までのシナリオはもう出来てるだろうけど)、いずれいっせいに金本位制の世界通貨・ブロック通貨に切り替える。このシナリオだと、近年のアメリカの戦争と、日本の今までの一連の流に、合点が行くんです。日本金ありませんよー。今ある金すら、メッキの金かもしれない(それすら戦時中に盗まれるだろうけど)。そうすると今の日本円がどのくらい目減りさせられるか。これは誰も予測できない。でも、今までの流で、考えれば、日本は確実にババ引かされます。大きな流れ、この大局は、この流れ通りにことが運ぶでしょう。

地獄の沙汰も頂点に君臨するグローバル大資本家次第ですから。ここはお金だけじゃなくて、暴力、武器、軍事も統率してます。日本の場合軍隊は他の省庁に完全にシリビアンコントロールされてるので、戦争だって無責任に興せる。興った時にはすでに出来レースで、彼らの予定通りの結末を迎えるだけです。情けない話ですが。

で、先を見通すと、官僚になっても、公務員になっても、良いとも思えないどころか、日本の大学はべらぼうに高いし、お金を払えたって、そもそも、日本の教育自体が、本質的に無駄です。まあそれでも、もうすでに大学へ入学しちゃった人の場合はどうか。いろいろ有利な資格を取っとこうかなーと考えているケース。有利そうな資格、日本で一番難しくて、権威がある資格、例えば司法試験を取りたいと。ところが、日本の法律はムダに難しくしているだけで役に立ちません。ムダなことに時間をかけさせて忙しくさせる。本質をうやむやにするために。これは何も法律だけじゃなくて、日本全体がそうなっています。ニュース見ても、どの問題とどの問題がどうつながってるか全体が見えなくて難しくて分からないから、みんなテレビの情報を見て真に受けてしまう。そのためにムダに難しく作られています。

日本の法律だけじゃない。他の社会問題科学問題政治問題にしても私たちに送っているメッセージには共通点がある。簡単に言うと「おまえはたいしたことない。みんなのために、より多くの数のために、おまえ一人のことは諦めろ。みんなに合わせろ。空気に合わせろ」というメッセージを送っています。

さて、法律の話。司法試験の話。無駄に権威つけされている。けど、一人にとっては何の役にも立たないから、今すでに食いっぱぐれかけています。昔の弁護士が食えていたのは、極端に人数を減らしていたからです。そうでもしないと権威が保てなかった。最近になって弁護士の頭数がちょっと増えたらもう食えない職業になってしまう。新しく作られた権威っていうものはそういうもんで、即席で作った金メッキなんてものは、すぐに剥がれるのが歴史の常。新しいものほどすぐに古くなる。新しはずの法律がまた新しくなって一つ前の法律のルールがすぐに使えなくなる。そんなものがルールだと言えるのか。

しかも、このルールを覚えるのは日本で一番難しいのに、この一番難しいルールを守らなきゃならないという矛盾。覚えれないもんをどう守るのかと。一瞬の矛盾。しかもこのルールはころころ変えられてしまう。ルールがころころ変わって良いものなのか。ムダですよね。ムダなんですけど、新しいものを追って、あるひ突然、理不尽にふるい落とされても、今の日本人はまた追い続ける。これは権威主義っていう数依存症です。依存症にならないこと。中毒にならないこと。そんな僕はアルコール中毒です。ね。僕みたいにならないこと。

弁護士の次くらいに権威がありそうな職業、例えば、税理士など。これは今のムダに難しい税法に対応するための税理士ですが、元々の法律自体が、さっき説明した通りにムダですからね。そもそも、本質的に、お金を数える人って、そんなに必要ですか。本来、サイフの中身なんてものは、誰だって3分あれば数えられることです。それを難しくすることで、資格を作って権威付けした。いいですか、これから日本の産業界は本質に戻っていきますよ。どう戻るのか。

まあ、こういう風に戻ることはないですけどね。日本の産業界はどう本質化されていくのか。2極化される。2極の内、1極はグローバルエリートを目指す道。目指せる人はそういないでしょう。今からの若い人だって、兄弟が何人かいる人じゃないと目指せない。

だって社会保障も何もかも削られて、これだけ少子高齢化が進むと、海外に出てやっていけないし、仮に出ていけたとしても、日本人はお隣の中国人や韓国人と比べても、海外の人と勝負するのは始めから不利です。

だから、ほとんどの人にとっては、別のもう1極を目指すしかない。その1極の一部が本質化していきます。その本質化していく1局こそが、私たちが目指すべき方向です。本質の中では、あなただけか、10人くらいの家族親族、10人くらいの仲間内で、人生の大半は切り抜けていくんですよ。一人の人生に関わる中心メンバーの数ってのはそんなもんです。その中に必ずいなきゃいけない人はどんな人ですか。哲学以下の学問の専門家なんて必要ない。社会学者も経済学者も政治学者もいらない。それよりはITと語学が必要です。そして、本当に必要なのはもっと泥臭い堅実な職業です。

具体的には、土をいじれる人、どこでどんな時期にどんな食材が取れて、それが食べれるのか食べれないのか判断できる人。釣って捌いて、仲間に客に提供できる人。食事は健康に直結します。食事で病気も良くなる。新鮮さ鮮度に基づく食文化は昔も今も日本が世界のナンバーワンです。日本の海沿いの都市は海の反対側を振り返れば豊かな森、山がすぐ近くにある。

今の日本は法律だとか今の制度や金融経済とか近代の産物ばかりが権威付けされてきて、日本の伝統産業、農業林業水産業は近代では日陰者扱いでしたが、本来は無限の可能性を秘めています。そして、こういう技術は小手先の技術じゃなくて、すぐには身に付かないのに、人が生きる上で重要な仕事です。技だけじゃない。心にも、体にもいい。めぐって技にももっといい。これこそ本質的な仕事です。

例えば、猫に焼き魚を2つ同時に与える。一つは新鮮な魚を焼いたもの。もう一つは死んで数日たって焼かれた魚。猫はすぐに判断できます。猫は新鮮な方の焼き魚を選んで食べます。新鮮な魚の方が生命の健康に良いことを分かっているからです。ところが現代人は、新しくて古くても「同じ焼き魚だろ」という同じ記号に入れてしまう。質が分からなくなった。実際に、食べても分からなくなってしまった。判断基準は数。値段が高いか安いかだけで判断する。行きつく最後は人間、自分までもを数に変えてしまうでしょう。

質の高さを目指すのが創造者。もちろん、すぐに創造者を目指すことは難しいから、まずは見よう見まねで良いので。日本の文化を繋いできた人に弟子入りしてみる。つないできた人は、同じようにつなぎたいんだから、人が来たらきっと喜びますよ。あなたに真剣に仕事を伝えてくれるでしょう。喜んで教えてくれる。今は、こんな時代だからこそ、泥臭い仕事は誰も選ばない。だからこそ、逆に、宝の山です。あなたの未来はきっと明るくできるでしょう。しかも選び放題。選り取り見取り。いいかな。こんなもんで。個別の話をし始めるときりがなくなってしまうので。ここまでにさせてください。

最後に今を生きる日本人の体についての話をします。体は健康について。若い人であれば、痩せたい、ダイエットしたい。30過ぎれば成人病、そしていずれガンの可能性だって出てくる。ダイエットと成人病とガンは一見すると別問題ですが、共通する原因の一つは同じです。糖分です。甘いもの、炭水化物を多くとれば太るし成人病、糖尿病になるし、ガンを大きくしたり、ガンが転移するための栄養分になる。ガンの原因は血液の汚れと低体温と天然のビタミンb17アミグダリン不足。雑穀では特にキビ、あんずの種、梅の仁なんかに沢山入っている。特に肝臓にいい。

実は、マリファナを使った治療も特定の部位には効くし、元の大麻だってよっぽどやりすぎなきゃ体に悪いもんじゃない。中毒性も低い。元々自然にあったものは何らかの役に立つ。

つい最近まで日本人長く苦しめた脚気だって自然にあった食品で治せた。その食品の栄養素にビタミンbという名前を付けただけ。世界中を苦しめた壊血病だって自然にあった食品で治せた。その食品の栄養素にビタミンcという名前を付けただけ。人体については西欧科学じゃなくてもともと自然にあるものの効能を発見していく時代が人類史ではまだまだ当分続く。西欧科学で解決できてたのは公衆衛生ぐらいなもの。それで短命な人が減ったから結果的に寿命が延びただけ。

自然の食べ物で治すガン治療は50年前にゲルソンさんって人がだいたい確立していて、末期ガンでも薬なしで半分以上治している。で、ゲルソンさん突然死。殺されたらしい。(僕も明日は我が身かなと。俺の場合は数の檻を丸ごと批判しているので。少なくても逮捕くらいは確実に来るんだろうけど、突然殺されるのはな準備できないていないですからね。タブーのガイドラインとか作ってほしいですよね。ここまでは逮捕で済むけど、こっから先は一発死みたいな(笑)。ガイドラインがある時点でそれタブーじゃないけどね。タブーの意味ないし。まあいいや。)ゲルソンさんの療法はだいぶスパルタなんだけども、今ではもっと気楽に出来る今の日本人に合った療法が沢山あるので詳しくはそちらを参考にしてください。どっちにしても、何回か治せても、やっぱりいずれ死にますから、人生悔い残さないように。(あ、自分に言い聞かせてる気分だ・・・。)

現代人は、糖は毎日、一日3食か、人によっては4食も5食も食べる。ごはん物、麺類、お菓子。全部炭水化物、糖がたっぷり入っています。脳が糖分の中毒になっている。

だから、糖を断つのが一番難しいと感じているはずです。ところが、糖分を減らすことは実は簡単にできます。糖分の中毒を止めさせるには、脳に別の報酬を与えてあげればいいだけです。報酬を糖から量に変える。つまり、食べる量を増やす。タンパク質ならいくら取っても良いことにする。タンパク質を沢山食べれば、自然に炭水化物は食べれなくなって、すぐに痩せるので、達成感が湧く。達成感が湧くと楽しくなって自然と続けられるようになります。そのうち甘い物もほしくなくなる。で、食べる量も自然に減るし、腹もちも良くなるから一日2食で平気になる。

脳じゃなくて、腸に合わせるようになってくる。腸に合わせると善玉菌は増える。どうやって判断したらいいのか。一つ一つの食材についていろいろ言うと、長くなるので、簡単な判断方法だけ。うんちを見ることで、体からの便りを知る。だからたよりの漢字で便と書く。腸のために寄生虫を入れたっていい。つい最近まで元々入ってたもんなんだから。

歴史的に考えてそうでしょ。一日3食が始まったのは、江戸で大規模な公共事業で出稼ぎが増えたから、飯場に労働者を詰め込んで、ごはん、白米を早食いさせて、飯場をフル回転させた。それが立ち食い江戸前で、江戸わずらいになった。で、普通の人でも脚気になるようになった。江戸時代の江戸だけ。全国的に3食になったのは富国強兵からなんだから。それで全国的に脚気になった。日本に限らず、人類は近年、半ば無理やり一日3食になった。それが普通だと思っているけど、人類のうん何億年の歴史と比べてね、そんな数世代で人間の体は適応進化しませんよ。体は今すぐ進化しない。でもね、あなたは今すぐ進化できるでしょ。今日覚えたことを役立てればいい。

そして誰でも老化したくない。体を酸化させないこと。Ageを上げる油物はなるべく控えて、トランス脂肪酸を含む油はとらない。化学物質もなるべく避ける。ペーハー調整剤も。それこそ何十種類も科学物質が混ざってるからなるべく食べない方がいいと思う。そして意識の上では、普段の呼吸を深くすることが大切。呼吸を深くするためには、人体図鑑や模型を見れば、自然に深くなる。肺って以外とでかいんだなってことに納得すると自然と呼吸が深くなる。そして当たり前だけど運動すること。汗をかくこと。温泉も田畑の手入れも体にいいですよ。高価な科学薬品飲むよりよっぽどいい。

今のアメリカ人は医療費で自己破産ですからね。日本だってこれから合理化だ医療だの理由で、都市に押し込められて薬付けにされて苦しんで行ってらっしゃいでしょ。実体経済に従事することは、今後ともしわよせが大変だろうけど、少々のお金があれば、なるべく国債にファイナンスさせないで少なくても年5%以上は固く回せばやっていけるでしょう。先進国は今後まとめてデフレにさせられるけど。金融経済でいっとき上手く立ち回れても、そろそろリセットされるから、その時の虚無感って半端じゃないと思うんですよね。

原発事故関連で言うと、チェルノブイリと日本では土も天候も違うので、予測が付かないことも多い。セシウムは作物ごとに移行を追って行く必要がある。例えば、白米は安全になったけど次に麦が不安になった。でも麦は90%が輸入。今は豆が心配です。大豆。国産の豆はだいたい豆腐になる。だからおからも心配。納豆も。被災地から東京湾までの川魚はまだずいぶん先までセシウム濃度が高い。ストロンチウムは海の底に落ちたので被災地から千葉までの底魚は特に、骨は気を付けておいた方がいいかもしれない。などなど。興味のある人は個人でやってる市民測定所などがあるのでそっちで確認してみてください。(学者じゃなくて個人ね。一人で志立てて孤独に始めた人の意見を参考にしてください。そういう人は哲学も持っている。孤独の中にしか哲学は産まれない。)

以上です。個別の話はすると切がなくなってしまうので、今日はこのへんまでにさせてください。今の日本国内だけで通用する話を鵜呑みにしていると、振り回されて、振り落とされます。パラダイムシフト、価値観が変わる時、それは戻る時で、戻ることで進化する時。少しずつでいいので、無理なく少しずつ楽しみながら準備を進めましょう。楽しくすることが大切ですよ。あなたの、今日からの人生が、あなたにとって、より良い人生になりますように。きっと良くなる。楽しくなる。全部見てくれてありがとう。

今日は最後に、筆者の自己紹介をさせてください。僕の頭の中はいったいどうなっているのか。

はいハゲてまーす!笑 僕の頭はハゲてます。

おでこのはげ上がりの歴史が一目で分かりますね。右から、こう、順々に広がっていってるのわかるでしょ。僕はね、日本の、日本のね、歴史、過去を見渡して、日本の未来は予測できる。しかし、生え際の過去から未来は予測できなかった!「分かるやろ!鏡みれや!」みたいなね。ここ突っ込むところですよ。僕胸毛はもじゃもじゃしているんですけどね。たぶん、生える所を間違えちゃった。ここ一番間違えてほしくなかった。まあでも、胸毛は胸毛で僕のチャームポイントなんで、開き直って、毎日胸毛を見せびらかせてます。たくさん余ってるので、あなたも一本いかがですか。

僕の性格はね、完全にボケ役なんで、突っ込んでくれると喜びます。芸人のダウンタンで言うと、ボケ役のまっちゃんの気持ちがすごく良く分かる。でも、浜ちゃんの気持ちが分からない。でも僕にとって浜ちゃんは大切な人。みたいな。

一番右のころ、夜はホストクラブを経営しながら、昼間は大学の法学部法学科で法律の勉強をしていました。で、法律を勉強すると、無駄に難しくしているだけで役に立たないことに気が付きます。論より証拠だなということで、法務探偵業も始めました。昔の探偵というのは、知識さえあればわりと何でもできました。で、ホストも探偵も競合他社はヤクザだらけ。当時はまだヤクザが強かった時代でした。脅されて困っている人も多かった。そこでヤクザ対策、いわゆるハードクレーム対策も始めました。難しい交渉事の付き添いサポートです。尼崎事件とかね有名ですよね。僕も人並みにビビルし怖いんですけど、勇気を持って介入するとね、わりと、何とかなるんです。彼らにも行動原理があって、けっきょく数の檻の中の経済合理性で動いているから、僕みたいに、誰かほかの人が顔突っ込んでくると、面倒くせえから別のやつ狙った方が早いって話になるんですよ。案外そういうもんですよ、民事介入簿力って、引く時は一瞬です。一瞬の陰陽。

こんな話をするとね、僕はいったいどんなヤツなのかと。どんな変り者なのかと。思うかもしれませんが、まあ、実は地味な生活でして、まあ、地味も何も、普段の僕は、ただのブタ野郎ですから、安全な豚小屋の檻の中で、飼育係りの人からエサをもらって太らされて、市場へ出荷待ちの身分なので、生まれてこのかた逮捕もなければ拘留も一度もないし、民事での訴訟も含めて何一つなくて、おまけにゴールド免許という。当たり障りのなさ。(まあ、豚小屋の中ではトラブルの起こしようもないですからね。同じブタ小屋のエサを奪い合う、隣のブタが憎らしいくらいで。憎らしいけど、何もできないみたいな。笑)この無力さ。力を振り絞っても小さい前習えで隣のブタを威嚇することくらいしかできない。「ぼ、僕はブタぶ。ち、力を振り絞っても、小さい前習えが限界ぶ!!笑」(そんな子豚さんの様な小生ですが、警察からは立派に注意人物に登録されています。多分昔民暴の件で警察と反目したから。ひどい話です)

今の僕の仕事はですね、山梨県や北海道で細々やってるローカルな活動だったり、東京23区でしか売れない物を作っていたりだったりするので、ここでのネット上で説明する意味はあんまりないかなと。

もちろん全国を対象とした仕事もあります。難しい人との難しい交渉事の付き添いサポート、ハードクレーム対策の他に、僕は物作りが好きなので、地方の会社やお店の商品サービスなんかを取材して、作った動画を、ユーチューブやニコニコ動画などに投函しています。動画作りは僕の趣味でもあります。声をかけてくれればすぐに取り掛かります。30万で作れます。お金がない人は、代わりに何かできることを提案してくれれば。何もなくても、今、僕が今手伝うべき活動だと感じればお金なくても手伝います。出張でそっち方面へ行ったついでとかに。って言うか、ここまでこの動画を見てくれた方とは是非お会いさせていただきたい。うれしいですよ。最後までこの動画全部見れた人ってそんなにいないでしょ。ところどころ意味の分からない場所があっても、一通り全部見てくれた人ってそんなにいないと思う。うれしいよです。

それと、たぶんみんなこの動画が、僕が普段作っている動画だと思ってると思うけど、この動画はパワーポイントっていう資料です。まあパワーポイントはこの動画見ての通り、僕素人です。でも作ることは何でも好きです。その他、マーケティングやコンサルタントも大好きです。ザッと見渡せば、他の人と全く違う視点からアドバイスが出来ます。考えることは何でも好き。もう、難しければ難しいほど好き。楽しめちゃう。

他にも、日本の産業界の家職制度復活のために、全国ブロガー協会という活動もしています。これはインターネット上に発信する個人をそれぞれの地域に集めてそれぞれの地域の小さな会社やお店の商品やサービスを体験して発信する活動です。ブロガー協会を日本全国津々浦々、各市町村に作っています。協力者など広く求めています。

全部見ていただいて感無量です。心からありがとうございます。最後に、僕の情報を広めてくれる方が、最近、少しずつなんですが、ちょくちょく見かけるようになりました。一か月に一人くらいですけど。僕ちゃんと見てますから。本当に、うれしいです。ありがとう。電話番号とかあれば、僕すぐに電話してお礼言うんですけどね。
まあもちろん電話番号を公開してる人ってまずいないんです。しかも、個人ブログとかだとそのブログに登録しないとメッセージが送信できない仕組みになっていたりするので、お礼のメールすら送れないことがあるので、まず、この場でお礼を伝えさせてください。ありがとう。

僕の名前は新田勇介です。新田義貞公の末裔です。実は、僕は子供の頃から、そもそも、数の檻の中にいませんでした。だから、檻の中のみんなの様子がありありと分かりました。だからすごくギャップを感じて育った。僕、子供の時は、そりゃー辛かったですよ。だって孤独なんだもん。だって、誰に話して分かるのこんなこと。でしょ? でも、幸いなことに良いこともあった。僕は自分のことを勝手に日本人のお兄ちゃんだと思い込んでいます。狂ってるでしょ?でも、本当はどっちが狂ってる?今の日本と俺と。まあどっちでもいい。だけど、あなたはどっちに正しくあって欲しい?そこだよね。あなたにとってどっちがいいか。あなたにとって良ければ、他の理由なんて要らない。

僕にとっては、同級生も本当は自分の弟妹だと思ってるし、先輩もそう。だって、たった一つの学年の違いでヒエラルキー付けて従順にさせることだって数の檻の作戦なんだから。昔の寺子屋なんてみんな一緒で、教える人も今の数で測る教師じゃなくて、国学者、哲学者だったんだから。哲学は数じゃなくて質を見るから。そこに数なんてなくて当たり前でしょ。数も年齢も関係ない。ここまでは分かるよね。今までの話を振り返れば。ところが俺の場合は、その辺のじいさんばあさんのことも弟妹だと思ってる。「いくら年齢が違ってもねー。いくらしわが多くても弟妹には変わりなくて当たり前だよねー」っていう感覚。権威とかお金の数も関係ないから、偉い人もそう。もちろん敬語で話しはするけど、心の中ではこいつは本当は俺の弟妹だと思ってる。「いくら偉くっても、弟妹であることには変わりはないしなー」と思っている。狂ってるよね。狂っててオッケー。毎日が一瞬の陰陽。

日本の首相も同じ。俺の弟妹。だって日本の首相はお父さんじゃないでしょ。日本中の子供たちが集まって、子供たちの中から無理やり一人の子供にお父さん役を押しつけて、その子を名指しして批判するでしょ。僕は見ていてつらい。僕にとっては批判される一人も、あなた一人も、同じ弟妹なんです。

一人の子供の問題は、全体の問題でしょ。一人で演じなきゃいけないつらい役割であればあるほど、かけがえのない、尊い役割だから。一人の子供の問題を学んで、その上で、全体へ目を向けること。それが本当のあなた一人のためで、本当のみんなのためだと、お兄ちゃんは思う。人は誰でもみんな役割を演じていて、どの役割もむだじゃない。

僕をぜひ、あなたのお兄ちゃんにもいかがでしょうか。お兄ちゃんとニーチェを合わせて、おにーちぇん。さあ、声を合わせて、俺のこと「おにーちぇーん!」って呼んでみて。「おにーちぇーん!」って。

そしたら俺、「ブヒッ!」って返事を返す!

「おにーちぇんって言われても、僕はブタぶ。力を振り絞っても、小さい前習えが限界ぶ!!」って。

僕はツイッターとユーチューブグーグル+とニコニコ動画なんかにアカウントがあります。この動画なり、僕の情報を探してフォローしてくれた方は伝えてください。100%フォローを返します。直接連絡をやりとりしましょう。ラインのIDはvskazu.jpです。お気軽にメッセージください。直接電話も大歓迎です。08050057361です。「動が見たよ!」一言でも気軽に伝えていただけるとうれしいです。

あなたの、今日からの人生が、あなたにとって、より良い人生になりますように。きっと良くなる。楽しくなる。全部見てくれてありがとう。あなたのご先祖様にも。